2008/04/28

改正労働安全衛生法・面接指導等に関する変更内容の詳細

メンタルヘルス・ウェブログ

面接指導等の対象者とは・・・
1.時間外、休日労働時間が1月当たり100時間を超える労働者であって、申し出を行った者については医師による面接指導を確実に実施すること。
2.時間外、休日労働時間が1月当たり80時間を超える労働者であって、申し出を行った者については面接指導等を実施するよう努めるものとする。
3.1の該当者を除き、時間外、休日労働時間が1月当たり100時間を超える労働者。又は、時間外、休日労働時間が2ないし6月の平均で1月当たり80時間を超える労働者については医師による面接指導等を実施するよう努めるものとする。
4.時間外、休日労働時間が1月当たり45時間を超える労働者で健康への配慮が必要と認めた者については、面接指導等の措置を講ずることが望ましい。

事業者の面接指導実施後の措置とは・・・
1.医師による面接指導を実施した場合は。その結果に基づき労働者の健康を保持するために必要な措置について、遅滞なく医師から意見聴衆するものとする。またその意見を勘案し、必要があると認めた場合は労働時間の短縮、深夜業の回数の減少など適切な事後措置を講ずるものとする。
2.前述の2.3.4の面接指導を実施した場合は上記1の事後措置に準じた措置の実施に努めるものとする。
3.面接指導等により労働者のメンタルヘルス不調が把握された場合は、面接指導を行った医師、産業医等の助言を得ながら必要に応じて精神科医等と連携を図りつつ対応するものとする。

面接指導等を実施するための手続き等の整備とは・・・
事業者は面接指導等を適切に実施するために、労使、産業医、衛生管理者等で構成される衛生委員会等において以下の事項について調査審議を行うものとし、調査審議結果に対して必要な措置を講ずるものとする。
1.面接指導等の実施方法及び実施体制に関する事。
2.面接指導等の申し出が適切に行われるための環境整備に関する事。
3.面接指導等の申出を行ったことにより当該労働者に対して不利益な取り扱いが行われることのないようにするための環境整備に関する事。
4.時間外、休日労働が100時間を超える者以外が面接指導等を実施した場合、事業場においての必要な措置の基準の策定に関する事。
5.事業場における長時間労働による健康障害防止対策の労働者への周知に関する事。

事業者は、時間外、休日労働時間が100時間を超える者、80時間を超える者に対する面接指導等を実施するにあたる、実施方法ならびに実施体制に関する事項については
1.労働者が自己の労働時間数を確認できる仕組みの整備。
2.申出を行う際の様式の作成。
3.申出を行う際の窓口の設定。
等を掲げる必要があり、労働者が不安なく申出を行うことができうる環境設定という観点に沿って、その周知徹を図るものとする。

以上のように、1ヶ月100時間を超える時間外労働等をこなす労働者の良好なメンタルヘルスケアについては特に留意が必要とされていますが、医師による面接となると本人の申出という意思表示が必要となることが理解できます。そこで健全に申出を行うことのできる環境・・つまり申し出たことによって不利益が生じない、また個人情報について事業者側の取り扱いに関する安全な配慮があるといった環境整備が絶対に不可欠であるという実態が伺えます。急成長を遂げる企業の過酷な残業を余儀なくされる環境で、メンタルヘルス不全によるリタイアといった捉え方をされてしまうようでは一個人の人間性が損壊されてしまい、労働者の心の健康の保持増進とは程遠いものとなってしまいます。
事業場の労働者数に関係することなく、働きやすく風通しのよい職場環境の整備はこれからの時代、不可欠なものであると感じるところであります。




改正労働安全衛生法・労働時間の設定の改善

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2006年3月に公表されました新総合対策について学びます。

新総合対策については事業者が講ずべき措置というものが定められており2002年に公示された労働安全衛生法において整合性と一貫性を保ちながらも、メンタルヘルス対策への今迄以上の必要性が示されております。

過重労働による健康障害を防止するため事業者が講ずべき措置

1.時間外・休日労働時間の削減
2.年次有給休暇の取得促進
3.労働時間等の設定の改善
4.労働者の健康管理に係わる措置の徹底
(1健康管理体制の整備、健康診断の実施等 2長時間にわたる時間外・休日労働を行ったものに対する面接指導等 3過重労働による業務上の疾病を発生させた場合の措置)

旧総合対策と比較して追加された点に、3の労働時間等の設定の改善という項目があります。事業主は労働安全衛生法に基づいて健康診断の結果を踏まえた医師等の意見又は面接指導を踏まえた医師の意見を勘案し必要な場合は労働時間の短縮・深夜業の回数の減少・を適切に講じ、また病気休暇から復帰する労働者については短時間勤務から始め、徐々に通常の勤務時間に戻す等・・円滑な職場復帰を支援するような労働時間の設定を行う必要性を説いています。

以下、厚労省による参考ガイド
厚生労働省:労働時間等の設定の改善



2008/04/15

改正労働安全衛生法・医師による面接指導

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2000年8月に公表された、事業場における労働者の心の健康づくりのための指針。
2002年2月の過重労働による健康障害防止のための総合対策。
以上2点の指針、対策からメンタルヘルス対策についてさらに拡大して推し進めてゆく必要性を指摘する中、2006年4月に施行された改正労働安全衛生法においては「長時間労働者への医師による面接指導の実施」が新たに付け加えられておりますが、その内容として・・・

一週40時間を超える労働時間の超過部分が一月あたり100時間を超え、かつ労働者の疲労の蓄積が認められる場合は労働者の申し出により医師による面接指導が行われなくてはならないとされています。ただ、あくまでも本人の申し出があり前一月以内に面接指導を受けて医師により、それ以上の面接指導の必要はないと認めた者を除くという要件付きですが・・。
また、事業者は面接結果を適切に勘案し場合によっては、就業場所の変更・作業の転換・労働時間の短縮・深夜業の回数の減少などの措置を講ずる必要があります。
職場環境や自身の地位的なものを絡めると、疲労の蓄積を理由として申し出る行為は勇気の必要な場合もあるのかもしれませんが、法として自身のメンタルヘルスを良好に保つ一助となるわけでありますから必要な場合は躊躇するものでもないのかもしれません。



2008/04/14

改正労働安全衛生法までの経緯

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厚労省による、労働者の過重労働・メンタルヘルス対策の普及・定着に対する指針、対策が公表された後も業務上による心理的負荷を原因とする精神障害の発症や自殺による労災認定の件数の拡大により、その指針と対策は現在に至るまで変化を遂げているようです。具体的な経緯として・・

2000年8月「事業場における労働者の心の健康づくりのための指針」
2002年2月「過重労働による健康障害防止のための総合対策」

2004年4月「過重労働・メンタルヘルス対策の在り方に係わる検討会」
2004年12月「今後の労働安全衛生対策について」(検討会の結果を踏まえた労働政策審議会による建議)
過重労働による健康障害防止対策やメンタルヘルス対策をさらに推進していく必要性が指摘される運びとなり・・
2005年11月「労働安全衛生法等の一部を改正する法律」
これにより、過重労働による健康障害防止対策の一環として長時間労働者等に対して医師による面接指導制度の導入と、事業者による長時間労働者に対するメンタルヘルス面のチェックと必要な指導が義務づけられる。また面接指導を要する対象者の基準を明示した・・
2006年1月「労働安全衛生規則等の一部を改正する省令」

2006年3月「過重労働による健康障害防止のための総合対策」(新総合対策)
     「労働者の心の健康の保持増進のための指針」(新指針)

このように2000年から現在に至るまで、職場におけるメンタルヘルス対策は労災認定の件数増加と共に現状の問題に見合った形へと変貌を遂げています。



2008/04/09

心の健康問題の特性

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メンタルヘルスケアの具体的な進め方に際して、まず心の健康問題の特性という部分について学びたいと思います。
メンタルヘルスの特性。
心の健康を客観的に測定する方法は過去から現在において未確立である。これは未来においても確立するものではないと思われます。
従ってメンタルヘルスほど、その状態を正確に把握する方法の困難な問題はないと感じるのです。
しかも生ある全ての人々に関係するものであるのに個人差という部分が非常に大きい。また、精神障害を伴わない人からの誤解を伴うケースが多分にあり誰もが経験しうる可能性があるはずなのに、なってしまわないと理解しづらいという未知的な要素を含んだ厄介な問題である。
職場における産業医も現状は内科医というスタンスが主流であり、働く従業員の心の健康すなわちメンタルヘルスケアにおけるサポートについては今のところ産業医よりも事業場外資源によるケアが確立しつつある。
このことは、いわゆるメンタルヘルスプロバイダーたる事業が各所で立ち上げられている様相からも伺えるところかと感じるところであります。

その他にも、当事者のプライバシーの問題や職場の人事労務管理部門と複雑に関係し合い相互に影響し合うという特性からも、血液検査やレントゲン検査で明確に判断しうる身体的障害に比較して非常に奥の深い現代の問題であると思います。
これらの、特性に留意したうえでメンタルヘルスケアを推進してゆかなければならない事が重要であります。



2008/04/08

人生に疲れた人へ その弐・動画、文章版

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人生に疲れた人へ・・・文章版と共に動画、その弐です。

かとー先生から
生きることに疲れた貴方へ
自分を守るために迎合する。
あるいは人に優越しようとする。
優越できないと自暴自棄になる。
努力しなくなる。
真面目なのだけれども、
「実際の自分」以上のことをしようとするから
結局は実りのない人生になる。
『言いたいことが言えない人』
幸せを感じられるかどうかは、とりまく状況よりも、
心にそれを感じる能力があるかどうかである。
『自分のうけ入れ方』
生きることに疲れた人は、
あまりにも長い間ストレスに耐えて頑張っているうちに、
喜びも楽しみも誇りも感じられなくなってしまった。
『心の休ませ方』
嫌われたくないということで、
なんと多くのものを失っているだろうか?
私たちは日々支払っている代価の
高さに気づいていない。
『だれにでもいい顔をしてしまう人』
心理的に健康な人は
「過去を嘆いても変わらない」と言う。
「今を生きよ」と言う。
心理的に健康な人は今が幸せだから、
過去から抜け出せる。
心理的に病んでいる人は今が不幸だから、
過去からどうしても抜け出せない。
その違いを考えないで、
過去にこだわる人を責めるのは酷である。
愛に恵まれた人が、
愛に恵まれない人を裁くことが許されるだろうか?
『心の休ませ方』
幸福も不幸も複利で増えていく。
いったん不幸になると、
坂道を転がるようにどんどん不幸になっていく。
『言いたいことが言えない人』
人生を不幸というラインからスタートする人は、
まずその「事の重大さ」を受け入れることである。
事の大きさに気がついていないと、
「努力すれば何とかなる」とか、
「頑張れば人生が開ける」とか、
甘えた人生観になり、すぐ躓く。
『自分のうけいれ方』
現在の学問から証明すれば、
抑制型の脳を持った者が、
愛のない環境で成長したら、
絶対に幸せになれない。
生まれてから死ぬまで間違いなく、
ずーっと不幸である。
しかし「それでもなお、
幸せになる決断」をしなければならない。
淋しい決断である。
孤独を超えた孤独な決断である。
『心のやすませ方』
「決断する」とは「捨てる」ということ。
「あの人とは、うまくいかなくなってもいい」と覚悟する。
その「捨てる」覚悟がなければ決断はできない。
『誰にでもいい顔をしてしまう人』
最後まで有難うございました




人生に疲れた人へ・動画、文章版

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人生に疲れた人へというタイトルの動画を、文章版と共に拾ってみました。

生きることに疲れた人は、
真面目な人である。
努力してきた人である。
努力している時に、
まさか自分がこのようになってしまうとは、
予想もしなかった。
自分の努力は、
いつか報われると思っていた。
皆から賞賛されると思っていた。
まさか自分の人生が、
こんな形で行き詰るとは予想していなかった。
でも、いま、生きることに疲れて、
何もする気にならない。
幼児の頃から献身を求められた人が、
どうして大人になっても
エネルギッシュでいられようか?
そんなことは無理に決まっている。
せっかく生まれてきたのに、
屈辱感を味わうだけで一生を終える人は多い
周囲にとって都合のよいときのみ、
「良い子」として受け入れられた
人生の初期において
周囲の自分に対する期待を
かなえることばかりにエネルギーをつかい、
生きることに消耗してしまった。
高齢者と若者とが
男と女とが
文化の違う国に属している人が、
相互に理解しあうのは難しい。
しかしそれよりも
はるかに難しいのが、
心理的に成長した人と、
それができなかった人とが、
相互に理解しあうことである。
よくいじめられた子供に
「言い返せばいいじゃないか」
と言う人がいるが、
それは言い返したときの恐怖を
体験していない人が言う
虚言である。
そもそも権威主義的家庭に育てば
「言い返す」などという文化は無い
いつも気持ちは萎縮している。
いつも怯えている。
「丸太小屋から大統領へ」という
サクセスストーリーが好んで語られる。
外側だけ見る人には感動的であろうが、
それは奇跡でも驚嘆でもない。
丸太小屋に生まれても
「母なるもの」を与えられていれば、
生きることは楽しいことだからである。
愛されない子供として宮殿に
生まれるよりもはるかに幸せである。
いや、これは比較できない。
あまりにも違いが大きすぎる。
「丸太小屋」が天国だとすれば、
「宮殿」は地獄である。
しかし人々は「丸太小屋」を誉める。
こちらのタイプを賞賛する。
眼に見えるからである。
人生の不公平とは、
この不公平である。
無視されて育ったり、感謝を要求されて
育った人が、真の自分を発展させ、
素直に成長していくことは
至難のわざである。
人生に疲れた人は、自分が生まれ育った環境を考えれば、
「自分はすごい」と思っていいのである。
事実すごい。誰にも助けてもらえないで、
独りでここまで生きてきた。
だれがここまでできるか。
不幸を受け入れる気になると何をしたら
最も良いか突然見えてくる。
「私の人生は辛い」と認めることである。
「なんで私だけ」と不満になれば、
より辛い人生になる。
人生が一度しかないと思ったら、
自分を無理に欺いて、人に迎合するだろうか。
もし本気でそう思ったら生き方が変わってくる。
人生は一度しかない。
本当に一回なんだよ。