2007/09/30

求めすぎぬ関係

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例えば・・夫婦共働きの場合・・
認めて貰える度数?について。
夫の場合~
職場での評価=自己達成感=家庭での評価=父親としての評価=自己満足感。
・・・ってな具合で、夫は一役を演じる事により・・
全ての自己評価が直結の上、満たされる。

妻の場合~
職場での評価=自己達成感。
しかしながら家庭での評価とは全く別物であり自己満足感に直結するものではない?
要するに、妻の場合・・職場での評価ってのは職業人としての単体の評価であり、家庭内においては「妻」と「母親」の二役の部分において、夫の場合のような「職業人としての評価」が重なる事なんて無いような・・・
そしてもっと単純に言うならば、仕事の出来る父親は家庭を支える大黒柱として威厳をも、持ち合わせられたとしても・・・
妻が職場で優秀だとしても、家庭内に帰ると「全く別の能力」を問われるであろう母親もしくは主婦業に対して取り組まねばならず、もしそれが疎かであれば「職業人としての評価すら打ち消されてしまう」。
そして・・「両立できぬのは仕事のせい」だと非難すら浴びる可能性も在りし。

とても・・大変でしょうね。(苦笑)・・女性はね。
結びつかない各ステージにおいて水準以上の実績をキープしとかなくちゃなりませんからね。>それこそ気苦労で、うつ病になっちゃいそうな・・・(笑)。
勿論、これは僕の短絡的な・・個人的観測であり万人にアテハマルようなものでは決してありませんが、この国の家庭像、夫婦像の平均的?な環境としては・・実情ではないのかなと感じたりしてますが・・・。
それでも頑張り続ける女性は世の中には多数居るわけでもあり、
ほとほと・・・
そんな女性の強さには、ある意味、敬服の感すら覚えてしまいますが、何かと高ストレスな、この時代・・・
誉める・認める・許し合う・・・そんな夫婦関係の大切な骨組みを揺るがす事なく、毎日をおくりたいものであります・・・。


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2007/09/26

愛と憎しみを超えて

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家族であったり、恋人であったり・・・
大切な人に対して、愛する事が犠牲になっていると感じるならば、
愛さない方がマシである。・・・っていう考え方が一つ、あるんですが。
何故かって言うと、犠牲。
すなわち耐えると言う観念を持ちながら人を愛するならば、その相手もまた・・・
「辛く哀しい」から。
当然、その犠牲を感じるレベルも様々であるんでしょうから一概に
「そんな事なら相手も辛い」とは言えないんですけどね・・・。
ただ・・・広い意味においては、苦しみながら愛されるという事は、
「あんまり幸せな事では無い」。のかもしれませんよね。だからって、うつ病家族の家族愛が常に無償の愛の上に成立するわけでもありませんけれど。
例えば、尽くす事を支える事として置き換えたならば・・・ブルンブルンに振り回されても、ののしられても、そんな愛情のポリシーを同居させ続けるって事は容易ではありませんからね。はっきり言って「憎む」という感情が生まれたとしても、僕個人的には理解できるような・・・。
人間ですから、憎しみのような感情を持ち合わせた状態で「患者」と「病魔」を区別して向き合う事は非常にコツと体力の要する気がしないでもありません。
しかしながら、敢えてそういう気持ちに侵されてしまいそうな時こそ・・・・
患者と共に、介護する家族側が「見えぬ成長」を遂げる時でもあり、その山場を越えて振り返った、その時・・・「見えてくる真実の愛」を掴み取ってゆく。
そしてそれは、かけがえの無い大きな家族愛へとつながりつつ・・
愛し愛される関係へと導かれてゆくような気がしてなりません・・・・・。


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2007/09/21

男らしさ

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男らしさってのは、一概に計る事なんて出来ませんよね。
大体・・・人それぞれ価値観ってのも違いますしね。
亭主関白で家族をグイグイ導いてゆく事も素晴らしいだろうし、結婚なんてしないで社会の中で自分の夢や信念を貫き通すような人生も勿論・・・
男らしいはずですから・・・。
適齢で結婚して家庭を支え、仕事もそれなりに続けながら・・・
なんて人生を考えてみたならば、多分・・・大概の人達は、それを男らしいなんて言う受け止め方はしないだろうなって思うんですよね・・・。


しかしながら・・・
自分みたいな男だって、一人の女性を愛し、支え・・・
そして子供達が自分の手から巣立ってゆく、その日までの柱的な存在である事をツマラナイ人生だなんて考えずに全うしてゆくこと・・・。
そんな平凡で地味な人生の土俵に立ち続けるって事は・・・
どれだけの努力と勇気と信念が必要かと、考えたならば・・・・
それはそれで、少しは男らしい生き方かもしれないなと思えてくるんです・・・・・。


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2007/09/19

出会えた奇跡

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公園で・・
道路脇で・・
路地裏で・・
花々が咲いています。
花々は、きっと・・・
人々の心の中をホッと幸せにしてくれてるような・・・

彼・彼女・恋人・友達・妻・夫・娘・息子・子供達・家族・兄弟・姉妹・親・両親・・・・
あの人にとって・・
この人にとって・・
大切な人は、「大切な人」。
それは・・・世界に一人。 大切な人。
多分、身近すぎて、その大切さを忘れがちではあるけれど・・・
紛れも無く、世界に一人。~大切な人~・・・・・

そんな事を忘れてしまいそうな時に、少しだけ思い起こしてみる「大切に想う気持ち」。
その・・・小さな気持ちが、とても大切なこと。
あなたの、大切な人は・・・   
世界にひとつだけの花。
大切にしないといけませんよね・・・・・。
この人と、あの人と・・・
「奇跡」にも近い偶然で出会ったんですからね。
恋人と出会えた奇跡。友と出会えた奇跡。妻と出会えた奇跡。
この星に生まれ、この国に生まれ・・生涯、出会える人の数なんて・・たかがしれた数。
ならば、目の前に存在している「大切な人」とめぐり合えたっていう奇跡に感動してみる事も煩雑な日々の暮らしの中には大切な事であるような・・・
そんな大切に想う気持ちを発見したならば・・・
生活を繰り返す為に一緒に居るのではなく、一緒に居るが為に生活しているんだなと気ずかないでもないような・・・
すると、うつ病がどうしたとか、正常な生活の支障がどうだとか、だから高確率で離婚がどうだこうだとか・・・
うつ病に自分が・・・家族が・・・「侵されてゆく」ことにはならないんだろうな・・・
だから・・・。
君に出会えて ありがとう。



2007/09/15

祈り・願い・・・心のpower

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君は最近、顔色が悪いね・・・
どこか悪いんじゃないのかい・・・・?
きっと・・悪いんだよ。
間違いないよ・・・。
ひょっとして、君は癌にかかってるんじゃないのかい?
すぐに医者に診てもらわないと「手遅れ」になるんじゃないかい?
でも・・医者はもし癌だとしても、本当の事を君に言わないだろうね・・・。
それにしても・・・君は最近、顔色が悪いね。ホント・・・。

毎日毎日・・・こんな事を言われたとしたならば、例え・・
昨日までピンピンしてた人も、おそらく・・・急激に弱り果てていくんでしょうね。
まさに暗示でもかけられたかのように・・・。
病は気から~なんてよく言ったもんではありますが、正にその通りでもあると思うんですよね・・・。僕も、毎日こんな事を聞かされたら、何日間その暗示に対して反抗できるか考えてみても、さほどの自信はありませんね(笑)。

ならば・・・逆に、ホントに病気を患ってる人間に対して・・・

君は最近顔色イイね・・・!
ひょっとして・・・
物凄く回復してきたんじゃないのかい・・・?
今度、医者に聞いてみろよ・・・
きっと、医者も僕と同じ考えだと思うよ!
あんなに・・・ひどい状態だったのに、
あの時の君の表情なんて・・
今と比べりゃ、まるで別人みたいだよ!

下手すりゃ(笑)・・・「誉め殺し」になりかねないとしても、毎日こんな励ましを与えられたならば・・・「気から病が回復する」って事もあるかもしれませんよね。

人間って・・・心で生きてると、僕は思ってますから・・・
「願い」や「イメージ」ってのは、それらを強く思えば思うほど・・・、実現する可能性もグングンと高まっていくような気がしないでもありません。
勿論・・・哀しいかな、そんな「願い」が届かぬ現実がある事だってあるでしょう。
でも、哀しみや現実の中でこそ・・・強く「祈り続けられる」能力を持ち合わせているのも人間のpowerでもあるはずと・・・
僕は医師でもなければカウンセラーでも無く、ただの平凡な男。そして、ただの平凡な夫。
過去を振り返っても、今も未来も・・うつ病という名の病魔に覆いかぶされた愛する妻が別人と化し家庭の中に狂った空気が流れ込んできたとしても・・・
その対抗となる僕の力というものは心。祈る・・・医師のように具体的に楽にしてやれる事なんて出来はしないけれども、きっと大丈夫。僕達がそばにいるから・・・
言葉にしてしまうと簡単すぎて素っ気ないものかもしれないんですが、夫として家族として出来る事、忘れてはならぬ事。「一番辛いのは患者」・・・
僕は「うつ病はよくなる」って事を強く思い続けてきましたし、これからもそうであろうと思います。それは「家族として、一体どうしていいのかわからない!」と、家族側が狂おしくなるような時には「祈り」にも近い想いで・・・そう信じてきましたが、そんな気持ちにふけるならば、ピンとした顔つきで「どうして、あんな事で苦しんでたんだろうね」なんて夫婦で笑える・・・必ずや到来するであろう日々が楽しみでありません・・・。



2007/09/12

ゴミのような雑談?

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職場の同僚との会話だったんですが・・・
その会話の中に、話の流れ的に「カミさん・・・」の話題が出たんですよね・・。
以下・・・その同僚の事を「彼」と記します。

彼いわく・・・
女(カミさん)なんて“ゴミ”みたいなもんだ・・・!
こんだけ飯食わしてやってんだから・・・
ゴミみたいに扱ったって当たり前だし、旦那に尽くしてもらわなきゃ何の為のカミさんなのか・・・わからない!・・・。
・・・??
“ゴミ”とは・・・。なんとも凄まじい表現をするもんだと・・・
僕的には小さなショックを感じるような感じないような・・?
しかしながら、彼の・・・その豪語する表情から察すると、そんな事を外で言いながらもホントは大切な“カミさん”であるんだろうなと・・・解釈できるニュアンスもチラホラと見受けられるような・・・?

何故かって言うと・・・彼の携帯電話の待ち受け画面にはちゃんと愛妻画像が仕込まれてますから・・(笑)
結局のところ、そうやって強がって見せたりしながらも実は・・・
惚れ込んでるんでしょうね。
さらには、そういう・・・外での口調とは裏腹に家に帰れば“尻にヒカレテル” 良きパートナーだったりして・・・(笑)

しかしながら彼の奥さんも自分の知らないところで“ゴミ扱い”されてるんじゃあ・・・たまったもんじゃありません!
いや・・・けれど!
彼の奥さんも、知らないところで・・彼の事を“ゴミ扱い”してるんだろうか・・・なんて考えると、それはホントニ“亭主元気で留守がいい”♪~の世界でありますから、そういう関係でうまくいってるパートナー同士・・・?と考えられるかもしれませんね。

どっちにしても・・・お幸せに!末永く・・・(笑)



2007/09/09

人生を交換できたならば・・・

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もう・・・いやになってしまったなんて言う時は、
自分の人生を否定しながらも・・「もしも・・」出来る事ならば、成功してるように見えてしまう友人、知人、同僚、先輩、後輩、ライバル・・・そんな人達の人生と自分の人生をそっくりそのまま交換してしまえば・・・自分は絶対!うまくいくはずだ!
・・・なんて考える事もあるかもしれませんよね・・・。
ならば・・・
その「もしも・・・」を、もしも・・本当に実行できたとしたら・・・
憧れの「あの人物」の人生と「悔いる事しかできていない」自分の人生を交換する。

人生を交換する・・?
どんなもんなんでしょうね・・・?
その後の気分は・・・(笑)

憧れのまま・・・「あ~・・・幸せ!」なんてこと思えるんでしょうかね・・・?
有り得ませんよね・・。自分に他人の人生の代役が務まる訳・・・ありませんから。
他人の人生を生きるなんて、自分の人生を生きることの千倍ツライはずじゃないかなって思いますから・・・。
自分の人生は自分が主人公・・・。
いいないいなと・・・見えてしまう他人の人生は、その他人が主人公を演じる物語なんですからスライドしたとて辛いだけ・・・。
そんな風に考えてみれば、今・・いやだいやだと見間違えてる自分の人生が愛おしく感じてきたりするような・・・?
さらには・・・こんな人生でも、ここはひとつ見方を変えて・・
「あ~やっぱり、ココがいいや・・・!」なんて・・・
改めて・・その人生の中に自分の居場所を再確認する・・・。
すなわち、主人公なのに主人公らしくなかった自分に気付き・・・
再び主人公として輝きだす!
そして、辛さの中に人生があるのでは無く、
人生の中に・・辛さっていうスパイスが効いてるだけ。
そんな気持ちで、主人公らしく自分の人生と向き合うことが出来たなら・・・
自分の人生、もっと好きになれますよね・・・・・。

人生を悲観することは大切なこと。
何故なら・・・悲観しなくていいってことに気付くチャンスだから・・・。
死を望んでしまう気持ちだって否定はしない・・・。
何故なら・・・死を否定できる自分に出会えるチャンスだから・・・。
そういうチャンス・・・。
「全てをやめてしまわない・・」気持ちの後ろに、必ずカクレテル!



2007/09/07

おバカさん・・・

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このご時勢・・・
働き盛りの男性の長期病休の約6割が「うつ病」であるというから、あまりにも身近すぎる現象でもありような?・・・僕にとってはね・・。
その、働き盛りの男性っていうのは僕と同じように小中高生の父親達。・・・
当然・・・この僕も、同種の世代に分類されてしまうんでしょうからね・・、
その世代々の「悩み」に関しては・・非常に身近に感ずるところでもあります。
僕自身は一応「健常者」ではありますが妻は、うつ病ですしね、「うつ病家族」という括りの中ではある意味、親近感?を感じるところでもありますね。
ところで・・・
身近な存在であるにもかかわらず・・・、家族・・企業・・地域社会・・・と、
それぞれの単位の中で目をそらしてしまいがちな「心の病」。

みんな・・疲れてるんですよね。頑張り過ぎてね・・・。
頑張っても頑張っても、何も報われない・・・そんな虚脱感を背中にショッテ・・・
それでも頑張る。!
そして・・・「潰れる」。
それって、カッコ悪い・・・?
僕はそうは思いません・・・。カッコいいと・・・思うんです。
「カッコいい」がムズガユイ?表現であるならば・・・
頑張り過ぎてる「おバカさん」なんて呼ぶのもどうでしょうかね・・・(笑)
「カッコいい・・おバカさん」。
ゆっくり休んで、また頑張れば・・・それでいいから・・・。

煩雑で忙しすぎる日本も、週休3日制・・・なんて、将来的な動きもあるようでありますが、目先の暮らしに気持ちを煽られて・・ついつい忘れがちな大切な人とのコミニュケーション。
そして自分とのコミニュケーション・・・。
そういう「心の通い」を途切れささない為にもピンポイントで支える予防策っていうのは非常に大切な事であると思いますし・・・
数値を用いた机上の論理を有効化する為の原点・・・
それは、全て・・・
人のハートから生み出でる愛と勇気ではないかと感じるところであります。
いえ・・・決して大袈裟な意味では無く、ふと・・歩きながら道端で感じる「気持ち」。
ふと・・・想う「気持ち」は大きな愛と勇気の、さらなる原点でもあり・・・
「行動」を生み出す。
行動・・・。これまた大袈裟なものでは無く・・・
自分や家族を大切に想い「生きてゆく」ということ。
そこには立派な存在価値がある!
僕なんかは、妻のうつ病という現実に向き合えた頃からは、会社に尽くす事よりも何よりも、自分や家族に尽くし過ぎたが為に潰れてしまった妻への想いが僕の心の中ではっきりと確立しつつも・・・出世や地位や名声や男の人生がどうのこうのと考える事よりも今、守るべきものは何か?と鬱が移る?ような感じで悩み続けた平凡な夫でありますから・・・。
生きているという感動。愛しているという感動。そして出会えた事への感謝。
・・・そんな事ってビジネスの世界ではどうでもいいことなんですが、人として誇りある人生を送りたいと考えるならば、かなり重要な部分であると・・・
人生の方向転換ができたような気がするんですよね。
人が人である為の人への優しさ、気遣い・・・
それらは、学校社会にもビジネス社会にも家庭にも相通ずるもの。
そんな「気持ち」と「予防策」が紐付けされたうえで、遠巻きに・・・
人の心と命を救うことができたならばと思わずにはいられません・・・。
大切なものを大切に扱う・・大切な心を失わずにいたいものであります。


2007/09/05

道のり

メンタルヘルス・ウェブログ

旧ブログへのメールメッセージの中にこんな事を書いていただいた方がいらっしゃられました・・・季節は昨年の晩冬であり地域によっては春を感じはじめたかの頃合・・

「春ですね・・・、また・・・春を感じれる今に感謝している」
「そして・・・そんな春を感じれる自分を誉めてあげたい・・・。」
本文そのままの転記ではありませんが、内容的には・・このような気持ちを記されていらっしゃいました。
この方はいろいろと過去に御苦労をされていながらも、段々と病苦から開放されつつあるとのことでして・・・
さらに・・その暖かい春の気配が自分を優しく包んでくれているような気持ちになれているそうでありました。
ヨカッタですよね・・・。
僕も、春と言えば・・・ちょうど6年前なんていうのは、妻のうつ病発症の年でありましたからね・・・、その年以来は春を迎える度に何かこう複雑な感覚に見舞われているっていうのが家族の立場としての正直な気持ちであります。
自分達の卑屈感みたいなものを、どこかの部分で他人より優位にたってソレを補うことばかり考えていたような時期もありましたが、結局のところ・・・そういう考え方っていうのは他人との不幸の競い合いをしているようなものでありますから、そういう考え方をしてる時は・・春の訪れやら何かを微かに感じ取るなんて出来ず・・・
結局は自分の殻に閉じこもっているだけだったような・・・
自分を見失っているから・・・
うつ病とも向き合えずに妻の心ともハグレテしまってる・・・。
だから・・・僕も妻も、悩みの一人歩きをしてしまいがちでもありましたし、その存在を確立しているのは「うつ病」っていう存在だけ・・・。
まさに・・・やられっ放しデスネ(苦笑)。
だから・・・
春を感じれる今に感謝して、感じている自分を誉めてあげる。
そんな・・、メールの差出人の方の気持ちに、ナルホドと頷いてしまったんですよ・・・。
うつ病家族ってのは時に、家族をバラバラにしてしまう程のパワーを持った病魔と常に対等していますからね、自分を見失い・・相手を見失い・・家族から孤立し・・家族は一体、何をどうすればいいんだと落胆と途方に明け暮れる。そんな中・・家族全員、それぞれが心の視線をしっかりと定めて・・・
自分にも相手にも見つめ合い、そして見つめてもらえる愛を感じる・・。
そこに小さくとも大きな自分や家族への発見があり、まさにそれは小さくとも大きなステップとなりうる・・。
確かに・・・
うつ病という病魔と出会ってしまい病者として・・家族として・・過ごしてきたという道のりは間違いなく一本の道であり、過去の出来事を変える事なんて出来やしませんよね。
ただしかし・・、これから歩んでゆく「道」は一本ではありませんから・・
それても・・はぐれても・・、
しっかりと自分達を見つめながら歩んでゆきたいなと感じるのであります。


2007/09/04

合言葉は愛言葉

メンタルヘルス・ウェブログ

もう・・・やめてしまおう
もう・・・あきらめてしまおう
もう・・・投げ出してしまおう
もう・・・ダメになりそう・・・・。

そんな時でも、どんな時でも、そうでない時でも・・・
うつ病患者を「支え守る」・・・一人の無力な人間の、心の中に「愛言葉」!

合言葉は・・・愛言葉!

愛言葉は、「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」。

人それぞれ・・・なんでもいいから、大切なあの人の・・・
あの一言が・・・、愛言葉!

僕の、愛言葉・・・。
今は、これ・・・!「おかえり」。

何故かって・・・?
それは、今年初めて聞いたから。
言われた事が嬉しいんじゃない・・・。
言えた事が・・・・・・・嬉しい。

だから・・・しばらくはコレが僕の愛言葉!

洗練された・・・いい言葉よりも、時に自分を優しくしてくれる・・・言葉。

そんな愛言葉を合言葉にして・・・
忘れてはいけないこと・・・
それは・・・
愛していること。愛されていること。



2007/09/03

cofee

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あんまり体には良くないんでしょうが・・・
僕はコーヒーとタバコを愛しているんです・・(笑!)
このふたつが有れば言いようのない「癒し」の空間へと導かれ、逆に無ければ無性に落ち着かないような・・?
当然、これらの過度の摂取は好ましくないとは理解していてもですよ・・・
仕事と家庭と”うつ病”に対するイライラや悶々を誤魔化す為にも??
やっぱりやめられずにいる次第であります(苦笑)
そんな僕の嗜好に関わる事はどうでもいいんですが、厚労省研究班からの調査結果によりますとコーヒーを1日に3杯以上飲む女性は、ほとんど飲まない人と比べて「結腸がん」になるリスクが約半分に低下するとなっているんですね。何故そう言えるのかっていう仕組みはまだ、十分解明されていないようでありますが、コーヒーにがん予防効果がある可能性を示す結果だそうであります。
ちなみに調査方法はと言いますと、40歳~69歳の日本人男女約9万6000人を約10年半にわたり追跡調査。約9万6,000人のコーヒーの摂取について調査。
コーヒーを1日に3杯以上飲む人・1~2杯の人・1杯未満の人・ほとんど飲まない人・のグループに分け、その後の発病確率を追跡してゆくというもの。
一方、男性の場合は、喫煙や飲酒をする人が多く、コーヒー以外の要因が大腸がんの発症に強く影響しているために、コーヒーとがんリスクとの間にはっきりとした因果関係は確認できてはいないようです。やはり酒とタバコとコーヒーの組み合わせは切ってもきれないなと解釈するのは僕だけでしょうかね・・(笑)
どっちにしても・・・
コーヒー通の女性陣にとりましては嬉しい限りかもしれませんね・・・。



2007/09/02

地域自殺対策推進事業

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各地域のメンタルヘルスへの取り組みに対して国が、その成果を共有し後ろ支えしてゆこうとする動きが本格化してゆくようでありますね。
国がモデル自治体を選び対策等の成果を一体となって検証、改善を進めてゆく・・・
具体的には、厚労省の地域自殺対策推進事業として選ばれた北海道、秋田、静岡、沖縄等の19の道と県。そして横浜市の計20の自治体に対して3年間の計画の中で防止策を模索しつつも・・
成果として表面化される内容については全国の自治体に情報伝達を行う・・・
との事でありまして、
国全体として命を救う取り組みを行うのであれば、時間はかかったとしても真の意味において「成果」というものに期待したいと思うんですよ。
9年連続で30000人を超えているという自殺者数の現実。
経済・健康・生活・職場・リストラ・いじめ・無力・人間関係・・・
様々な・・現代人を悩み苦しめ追い詰めるキーワードが多数うごめくご時世において人の心の健康、すなわちメンタルヘルスにおいては
勝ち組も負け組みも無い世の中であらねばと・・
深く考える中・・・
笑うことができるという喜び
泣くことができるという喜び
悲しむことのできる喜び
愛し愛されることのできる喜び
それら全て、生きているという喜びにつながる人間の素晴らしさではないかと感じながらも再度その・・「成果」に期待したいところであります・・・。