2007/09/26

愛と憎しみを超えて

メンタルヘルス・ウェブログ

家族であったり、恋人であったり・・・
大切な人に対して、愛する事が犠牲になっていると感じるならば、
愛さない方がマシである。・・・っていう考え方が一つ、あるんですが。
何故かって言うと、犠牲。
すなわち耐えると言う観念を持ちながら人を愛するならば、その相手もまた・・・
「辛く哀しい」から。
当然、その犠牲を感じるレベルも様々であるんでしょうから一概に
「そんな事なら相手も辛い」とは言えないんですけどね・・・。
ただ・・・広い意味においては、苦しみながら愛されるという事は、
「あんまり幸せな事では無い」。のかもしれませんよね。だからって、うつ病家族の家族愛が常に無償の愛の上に成立するわけでもありませんけれど。
例えば、尽くす事を支える事として置き換えたならば・・・ブルンブルンに振り回されても、ののしられても、そんな愛情のポリシーを同居させ続けるって事は容易ではありませんからね。はっきり言って「憎む」という感情が生まれたとしても、僕個人的には理解できるような・・・。
人間ですから、憎しみのような感情を持ち合わせた状態で「患者」と「病魔」を区別して向き合う事は非常にコツと体力の要する気がしないでもありません。
しかしながら、敢えてそういう気持ちに侵されてしまいそうな時こそ・・・・
患者と共に、介護する家族側が「見えぬ成長」を遂げる時でもあり、その山場を越えて振り返った、その時・・・「見えてくる真実の愛」を掴み取ってゆく。
そしてそれは、かけがえの無い大きな家族愛へとつながりつつ・・
愛し愛される関係へと導かれてゆくような気がしてなりません・・・・・。


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