2007/07/30

過去を笑って・・・

メンタルヘルス・ウェブログ

ある食堂で、昼のランチをとっていたんですが・・・。
注文した白身魚の定食を待ちながら、ぼ~っとテレビをみていると・・・
夫婦間トラブルで悲惨な事件となった件をワイドショーがとりあげていたんですよ・・・。
そして付随して触れていた内容っていうのは、DVを軸とした・・・
現代社会における夫婦間のトラブルや悩みは無数に増加しているという事。
内訳的にみてみると同じDVでも、肉体的、金銭的、よりも精神的な暴力が数年前に比べて比率上昇しているんだとか。
すなわち暴力奮うだけがDVじやないんですよね。
そんな「悩み」を抱えている夫婦達の調査データが流れてたもんですから、注視しながら見ていたんです。
すると、その中に夫がショックを受けた妻からの言葉ってゆうのがありまして・・・

例えば・・・
家に帰ってきてほしくない
犬と居た方が癒される
稼ぎが悪いのがどうのこうの・・・
一緒にいるから気分が悪くなる
今迄一緒にいた時間が無駄
・・・・・・・・・。
笑えました・・・。
殆ど、僕も体験したことばかりだったから・・・
笑えると同時に、変な意味・・癒されてしまいました。ただね・・・重要な部分なんですが、僕の場合は正気で言われてる訳じゃありませんから・・・。

あくまでも、病魔のもたらした妄想がソレを言わせてるんですからね。
同じように捕らえてしまってはダメです。
けれども、ソレが正気なのか妄想なのか判別しようと思い悩むところが、辛みの根っこの部分である事も事実。
だからって、DVがどうだああだと・・・自分と重ねるつもりすら無く・・・
味噌汁を腹に流し込んでから、すぐに店を出ましたけどね・・・。
そんなこんなで、世の中・・・なんかおかしいなと感慨にふけりながらも・・・

そんな事は無い。荒んだ時代にも熱いハートはある。
例えば震災から12年の月日が経ち、ちょうどあの頃・・・
10歳だった子供は今頃、どんな風に頑張ってるんだろうな・・・?
なんて考えてみたりしてね・・・。
あの時の哀しみを胸に・・・大人になってからは、人を助けられる人間になりたいと・・・医者や消防関連の職業に就いてる若い人達もたくさん、いらっしゃるみたいで・・・。
何かこう・・・熱いハートを感じずにはいられませんね・・・。
そんなに悪い世の中でもありませんよッ!(笑)
そうやって僕は頭の中でグルグル考えながら、再び仕事へと・・・

あっ、そうそう・・・
肝心の妻の調子は継続してグッド!
うつ病・・・。そんなに甘くはないことも、嫌ほど知ってるんですけどね・・・。
僕は、僕達の人生をしっかり生きてゆこうと・・・
今日は心の笑顔がピカリ!と光る一日。


2007/07/29

結婚指輪のこと

メンタルヘルス・ウェブログ

実は先週末に僕達夫婦は、ちょっとした衝突がありまして・・・
いわゆる夫婦喧嘩ってやつなんですが。
そして何が原因かって言うとね、「結婚指輪」なんですよ・・・。
週末に、僕達は子供達を引き連れてショッピングに出向いたんですが・・、
ふと・・ジュエリーショップの立ち並ぶ一角に差し掛かった時、何気なくショーケースの中を二人で眺めることとなり・・・。
妻は結婚してから約12年間の間に指が(少し・・)太くなってますからね、今の指輪ではサイズが合わないんです。ですから、加工するとか新しい指輪を買うとか・・・考えてたみたいでありまして・・・。
そして僕の指輪は12年間「はめっ放し」ですから・・輝きは全く無く、少し歪み、傷だらけ・・・。
すなわち、夫婦二人で・・・そろそろ新しい指輪が欲しいなと思わないこともなかった?
そんな二人の気持ちも手伝って、偶然通りかかったジュエリーショップに足をとられてしまったような・・・?
そこまでは、別に何のトラブルもないんですが・・・
販売員の方にいろんな方法を教わりながら、加工修理するのか買い直すのか思案しつつ・・・とりあえずショップをあとにします。そして・・・その帰り道。
妻は言います・・・。
「とりあえず、あたしだけ・・・しようか?」
「うん・・・?僕のはどうすんの?」
「えっ・・・?」
どうも・・、妻の言い方が、「二人で」指輪をどうこうするって言うことよりも・・・装飾品として、または・・女性の持ち物として買い物してみようかって言う風に聞こえてしまったんですよね。つまり、僕の言い分としては「二人で」指輪を新しくするっていうことに何かしらの「意味」を感じたかったんですが、妻は自分の指輪が欲しいっていう「一人」の範囲でショーケースを眺めていたようであり・・・。
そして、聞こえなくてもいいと思ってるくせに、聞こえるように僕がボヤイタ結果、互いに焦点の定まらぬ冷戦状態へと・・・もつれこんでしまったんですよ・・・(苦笑)
僕が何故か?細かく反論しない事が・・・逆に、妻から見ると「何が気にいらないの?」という印象を与えてしまったようでありまして・・・
まあしかし・・・
どうでもいいと言えば、どうでもいい事でありますから・・(笑)
そんな事にこだわる方がカッコ悪いのかもしれませんしね・・・
ただ・・・時間を置いてからは妻も、僕の言いたい事はわかってくれたような?
でもね・・・常に、「うつ病」っていう存在を感じる毎日の中で、こうやってクダラナイ夫婦喧嘩できてる今の状態の中に・・・
幸せと自信を感じる事が出来たのも、一つささやかな喜びでもあり・・・
うつ病の妻に対して「腫れ物に触る」的な感覚で接していない僕自身の「今」にも感謝。
それと・・、今がそういう状態に在るっていう事に対して「安堵・・・」。
しかしながら、ふと想う個人的発想とは・・・

妻は・・意味も大切。輝きも大切。
僕は・・意味が大切。輝きはどちらでも・・・
女って・・・こんなもの。
男って・・・こんなもの。
・・・・・笑。



2007/07/28

走れメロス

メンタルヘルス・ウェブログ

人の心を傷付け、歪めるのも人の心であるならば・・・
傷付き、歪んでしまった心を癒すのも人の心・・・。
心と心の触れ合った時、人は変わる。
愛と勇気。今も昔も・・・大切にしたい人間の心の力・・・
メロスは、教えてくれてますね・・・
古めかしい?なんて思わずに・・・一読の価値はあるような・・・

走れメロス    太宰治

メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此(こ)のシラクスの市にやって来た。メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。この妹は、村の或る律気な一牧人を、近々、花婿(はなむこ)として迎える事になっていた。結婚式も間近かなのである。メロスは、それゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。メロスには竹馬の友があった。セリヌンティウスである。今は此のシラクスの市で、石工をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。歩いているうちにメロスは、まちの様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に日も落ちて、まちの暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。のんきなメロスも、だんだん不安になって来た。路で逢った若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年まえに此の市に来たときは、夜でも皆が歌をうたって、まちは賑やかであった筈(はず)だが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなかった。しばらく歩いて老爺(ろうや)に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。老爺は答えなかった。メロスは両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。

「王様は、人を殺します。」

「なぜ殺すのだ。」

「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。」

「たくさんの人を殺したのか。」

「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお世嗣(よつぎ)を。それから、妹さまを。それから、妹さまの御子さまを。それから、皇后さまを。それから、賢臣のアレキス様を。」

「おどろいた。国王は乱心か。」

「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて、殺されます。きょうは、六人殺されました。」

聞いて、メロスは激怒した。「呆(あき)れた王だ。生かして置けぬ。」

メロスは、単純な男であった。買い物を、背負ったままで、のそのそ王城にはいって行った。たちまち彼は、巡邏(じゅんら)の警吏に捕縛された。調べられて、メロスの懐中からは短剣が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。メロスは、王の前に引き出された。

「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」暴君ディオニスは静かに、けれども威厳を以(もっ)て問いつめた。その王の顔は蒼白(そうはく)で、眉間(みけん)の皺(しわ)は、刻み込まれたように深かった。

「市を暴君の手から救うのだ。」とメロスは悪びれずに答えた。

「おまえがか?」王は、憫笑(びんしょう)した。「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしの孤独がわからぬ。」

「言うな!」とメロスは、いきり立って反駁(はんばく)した。「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑って居られる。」

「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」暴君は落着いて呟(つぶや)き、ほっと溜息(ためいき)をついた。「わしだって、平和を望んでいるのだが。」

「なんの為の平和だ。自分の地位を守る為か。」こんどはメロスが嘲笑した。「罪の無い人を殺して、何が平和だ。」

「だまれ、下賤(げせん)の者。」王は、さっと顔を挙げて報いた。「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、磔(はりつけ)になってから、泣いて詫(わ)びたって聞かぬぞ。」

「ああ、王は悧巧(りこう)だ。自惚(うぬぼ)れているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」と言いかけて、メロスは足もとに視線を落し瞬時ためらい、「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限を与えて下さい。たった一人の妹に、亭主を持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます。」

「ばかな。」と暴君は、嗄(しわが)れた声で低く笑った。「とんでもない嘘(うそ)を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。」

「そうです。帰って来るのです。」メロスは必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。妹が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンティウスという石工がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」

それを聞いて王は、残虐な気持で、そっと北叟笑(ほくそえ)んだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないにきまっている。この嘘つきに騙(だま)された振りして、放してやるのも面白い。そうして身代りの男を、三日目に殺してやるのも気味がいい。人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代りの男を磔刑に処してやるのだ。世の中の、正直者とかいう奴輩(やつばら)にうんと見せつけてやりたいものさ。

「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」

「なに、何をおっしゃる。」

「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」

メロスは口惜しく、地団駄(じだんだ)踏んだ。ものも言いたくなくなった。

竹馬の友、セリヌンティウスは、深夜、王城に召された。暴君ディオニスの面前で、佳(よ)き友と佳き友は、二年ぶりで相逢うた。メロスは、友に一切の事情を語った。セリヌンティウスは無言で首肯(うなず)き、メロスをひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。セリヌンティウスは、縄打たれた。メロスは、すぐに出発した。初夏、満天の星である。

メロスはその夜、一睡もせず十里の路を急ぎに急いで、村へ到着したのは、翌(あく)る日の午前、陽は既に高く昇って、村人たちは野に出て仕事をはじめていた。メロスの十六の妹も、きょうは兄の代りに羊群の番をしていた。よろめいて歩いて来る兄の、疲労困憊(こんぱい)の姿を見つけて驚いた。そうして、うるさく兄に質問を浴びせた。

「なんでも無い。」メロスは無理に笑おうと努めた。「市に用事を残して来た。またすぐ市に行かなければならぬ。あす、おまえの結婚式を挙げる。早いほうがよかろう。」

妹は頬をあからめた。

「うれしいか。綺麗(きれい)な衣裳も買って来た。さあ、これから行って、村の人たちに知らせて来い。結婚式は、あすだと。」

メロスは、また、よろよろと歩き出し、家へ帰って神々の祭壇を飾り、祝宴の席を調え、間もなく床に倒れ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。

眼が覚めたのは夜だった。メロスは起きてすぐ、花婿の家を訪れた。そうして、少し事情があるから、結婚式を明日にしてくれ、と頼んだ。婿の牧人は驚き、それはいけない、こちらには未だ何の仕度も出来ていない、葡萄(ぶどう)の季節まで待ってくれ、と答えた。メロスは、待つことは出来ぬ、どうか明日にしてくれ給え、と更に押してたのんだ。婿の牧人も頑強であった。なかなか承諾してくれない。夜明けまで議論をつづけて、やっと、どうにか婿をなだめ、すかして、説き伏せた。結婚式は、真昼に行われた。新郎新婦の、神々への宣誓が済んだころ、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて車軸を流すような大雨となった。祝宴に列席していた村人たちは、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持を引きたて、狭い家の中で、むんむん蒸し暑いのも怺(こら)え、陽気に歌をうたい、手を拍(う)った。メロスも、満面に喜色を湛(たた)え、しばらくは、王とのあの約束をさえ忘れていた。祝宴は、夜に入っていよいよ乱れ華やかになり、人々は、外の豪雨を全く気にしなくなった。メロスは、一生このままここにいたい、と思った。この佳い人たちと生涯暮して行きたいと願ったが、いまは、自分のからだで、自分のものでは無い。ままならぬ事である。メロスは、わが身に鞭打ち、ついに出発を決意した。あすの日没までには、まだ十分の時が在る。ちょっと一眠りして、それからすぐに出発しよう、と考えた。その頃には、雨も小降りになっていよう。少しでも永くこの家に愚図愚図とどまっていたかった。メロスほどの男にも、やはり未練の情というものは在る。今宵呆然、歓喜に酔っているらしい花嫁に近寄り、

「おめでとう。私は疲れてしまったから、ちょっとご免こうむって眠りたい。眼が覚めたら、すぐに市に出かける。大切な用事があるのだ。私がいなくても、もうおまえには優しい亭主があるのだから、決して寂しい事は無い。おまえの兄の、一ばんきらいなものは、人を疑う事と、それから、嘘をつく事だ。おまえも、それは、知っているね。亭主との間に、どんな秘密でも作ってはならぬ。おまえに言いたいのは、それだけだ。おまえの兄は、たぶん偉い男なのだから、おまえもその誇りを持っていろ。」

花嫁は、夢見心地で首肯(うなず)いた。メロスは、それから花婿の肩をたたいて、

「仕度の無いのはお互さまさ。私の家にも、宝といっては、妹と羊だけだ。他には、何も無い。全部あげよう。もう一つ、メロスの弟になったことを誇ってくれ。」

花婿は揉(も)み手して、てれていた。メロスは笑って村人たちにも会釈(えしゃく)して、宴席から立ち去り、羊小屋にもぐり込んで、死んだように深く眠った。

眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。メロスは跳ね起き、南無三、寝過したか、いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、約束の刻限までには十分間に合う。きょうは是非とも、あの王に、人の信実の存するところを見せてやろう。そうして笑って磔の台に上ってやる。メロスは、悠々と身仕度をはじめた。雨も、いくぶん小降りになっている様子である。身仕度は出来た。さて、メロスは、ぶるんと両腕を大きく振って、雨中、矢の如く走り出た。

私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ。身代りの友を救う為に走るのだ。王の奸佞(かんねい)邪智を打ち破る為に走るのだ。走らなければならぬ。そうして、私は殺される。若い時から名誉を守れ。さらば、ふるさと。若いメロスは、つらかった。幾度か、立ちどまりそうになった。えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら走った。村を出て、野を横切り、森をくぐり抜け、隣村に着いた頃には、雨も止(や)み、日は高く昇って、そろそろ暑くなって来た。メロスは額(ひたい)の汗をこぶしで払い、ここまで来れば大丈夫、もはや故郷への未練は無い。妹たちは、きっと佳い夫婦になるだろう。私には、いま、なんの気がかりも無い筈だ。まっすぐに王城に行き着けば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり歩こう、と持ちまえの呑気(のんき)さを取り返し、好きな小歌をいい声で歌い出した。ぶらぶら歩いて二里行き三里行き、そろそろ全里程の半ばに到達した頃、降って湧(わ)いた災難、メロスの足は、はたと、とまった。見よ、前方の川を。きのうの豪雨で山の水源地は氾濫(はんらん)し、濁流滔々(とうとう)と下流に集り、猛勢一挙に橋を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、木葉微塵(こっぱみじん)に橋桁(はしげた)を跳ね飛ばしていた。彼は茫然と、立ちすくんだ。あちこちと眺めまわし、また、声を限りに呼びたててみたが、繋舟(けいしゅう)は残らず浪に浚(さら)われて影なく、渡守りの姿も見えない。流れはいよいよ、ふくれ上り、海のようになっている。メロスは川岸にうずくまり、男泣きに泣きながらゼウスに手を挙げて哀願した。「ああ、鎮(しず)めたまえ、荒れ狂う流れを! 時は刻々に過ぎて行きます。太陽も既に真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、王城に行き着くことが出来なかったら、あの佳い友達が、私のために死ぬのです。」

濁流は、メロスの叫びをせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。浪は浪を呑み、捲き、煽(あお)り立て、そうして時は、刻一刻と消えて行く。今はメロスも覚悟した。泳ぎ切るより他に無い。ああ、神々も照覧あれ! 濁流にも負けぬ愛と誠の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。メロスは、ざんぶと流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪を相手に、必死の闘争を開始した。満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきと掻(か)きわけ掻きわけ、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに憐愍(れんびん)を垂れてくれた。押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来たのである。ありがたい。メロスは馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きを急いだ。一刻といえども、むだには出来ない。陽は既に西に傾きかけている。ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一隊の山賊が躍り出た。

「待て。」

「何をするのだ。私は陽の沈まぬうちに王城へ行かなければならぬ。放せ。」

「どっこい放さぬ。持ちもの全部を置いて行け。」

「私にはいのちの他には何も無い。その、たった一つの命も、これから王にくれてやるのだ。」

「その、いのちが欲しいのだ。」

「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」

山賊たちは、ものも言わず一斉に棍棒(こんぼう)を振り挙げた。メロスはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、その棍棒を奪い取って、

「気の毒だが正義のためだ!」と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者のひるむ隙(すき)に、さっさと走って峠を下った。一気に峠を駈け降りたが、流石(さすが)に疲労し、折から午後の灼熱(しゃくねつ)の太陽がまともに、かっと照って来て、メロスは幾度となく眩暈(めまい)を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。立ち上る事が出来ぬのだ。天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。ああ、あ、濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し韋駄天(いだてん)、ここまで突破して来たメロスよ。真の勇者、メロスよ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。おまえは、稀代(きたい)の不信の人間、まさしく王の思う壺(つぼ)だぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身萎(な)えて、もはや芋虫(いもむし)ほどにも前進かなわぬ。路傍の草原にごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな不貞腐(ふてくさ)れた根性が、心の隅に巣喰った。私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。神も照覧、私は精一ぱいに努めて来たのだ。動けなくなるまで走って来たのだ。私は不信の徒では無い。ああ、できる事なら私の胸を截(た)ち割って、真紅の心臓をお目に掛けたい。愛と信実の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。けれども私は、この大事な時に、精も根も尽きたのだ。私は、よくよく不幸な男だ。私は、きっと笑われる。私の一家も笑われる。私は友を欺(あざむ)いた。中途で倒れるのは、はじめから何もしないのと同じ事だ。ああ、もう、どうでもいい。これが、私の定った運命なのかも知れない。セリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。君は、いつでも私を信じた。私も君を、欺かなかった。私たちは、本当に佳い友と友であったのだ。いちどだって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿したことは無かった。いまだって、君は私を無心に待っているだろう。ああ、待っているだろう。ありがとう、セリヌンティウス。よくも私を信じてくれた。それを思えば、たまらない。友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき宝なのだからな。セリヌンティウス、私は走ったのだ。君を欺くつもりは、みじんも無かった。信じてくれ! 私は急ぎに急いでここまで来たのだ。濁流を突破した。山賊の囲みからも、するりと抜けて一気に峠を駈け降りて来たのだ。私だから、出来たのだよ。ああ、この上、私に望み給うな。放って置いてくれ。どうでも、いいのだ。私は負けたのだ。だらしが無い。笑ってくれ。王は私に、ちょっとおくれて来い、と耳打ちした。おくれたら、身代りを殺して、私を助けてくれると約束した。私は王の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、私は王の言うままになっている。私は、おくれて行くだろう。王は、ひとり合点して私を笑い、そうして事も無く私を放免するだろう。そうなったら、私は、死ぬよりつらい。私は、永遠に裏切者だ。地上で最も、不名誉の人種だ。セリヌンティウスよ、私も死ぬぞ。君と一緒に死なせてくれ。君だけは私を信じてくれるにちがい無い。いや、それも私の、ひとりよがりか? ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。村には私の家が在る。羊も居る。妹夫婦は、まさか私を村から追い出すような事はしないだろう。正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬる哉(かな)。――四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。

ふと耳に、潺々(せんせん)、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐ足もとで、水が流れているらしい。よろよろ起き上って、見ると、岩の裂目から滾々(こんこん)と、何か小さく囁(ささや)きながら清水が湧き出ているのである。その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手で掬(すく)って、一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。肉体の疲労恢復(かいふく)と共に、わずかながら希望が生れた。義務遂行の希望である。わが身を殺して、名誉を守る希望である。斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! メロス。

私は信頼されている。私は信頼されている。先刻の、あの悪魔の囁きは、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓が疲れているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。メロス、おまえの恥ではない。やはり、おまえは真の勇者だ。再び立って走れるようになったではないか。ありがたい! 私は、正義の士として死ぬ事が出来るぞ。ああ、陽が沈む。ずんずん沈む。待ってくれ、ゼウスよ。私は生れた時から正直な男であった。正直な男のままにして死なせて下さい。

路行く人を押しのけ、跳(は)ねとばし、メロスは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴(け)とばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。一団の旅人と颯(さ)っとすれちがった瞬間、不吉な会話を小耳にはさんだ。「いまごろは、あの男も、磔にかかっているよ。」ああ、その男、その男のために私は、いまこんなに走っているのだ。その男を死なせてはならない。急げ、メロス。おくれてはならぬ。愛と誠の力を、いまこそ知らせてやるがよい。風態なんかは、どうでもいい。メロスは、いまは、ほとんど全裸体であった。呼吸も出来ず、二度、三度、口から血が噴き出た。見える。はるか向うに小さく、シラクスの市の塔楼が見える。塔楼は、夕陽を受けてきらきら光っている。

「ああ、メロス様。」うめくような声が、風と共に聞えた。

「誰だ。」メロスは走りながら尋ねた。

「フィロストラトスでございます。貴方のお友達セリヌンティウス様の弟子でございます。」その若い石工も、メロスの後について走りながら叫んだ。「もう、駄目でございます。むだでございます。走るのは、やめて下さい。もう、あの方(かた)をお助けになることは出来ません。」

「いや、まだ陽は沈まぬ。」

「ちょうど今、あの方が死刑になるところです。ああ、あなたは遅かった。おうらみ申します。ほんの少し、もうちょっとでも、早かったなら!」

「いや、まだ陽は沈まぬ。」メロスは胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕陽ばかりを見つめていた。走るより他は無い。

「やめて下さい。走るのは、やめて下さい。いまはご自分のお命が大事です。あの方は、あなたを信じて居りました。刑場に引き出されても、平気でいました。王様が、さんざんあの方をからかっても、メロスは来ます、とだけ答え、強い信念を持ちつづけている様子でございました。」

「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。ついて来い! フィロストラトス。」

「ああ、あなたは気が狂ったか。それでは、うんと走るがいい。ひょっとしたら、間に合わぬものでもない。走るがいい。」

言うにや及ぶ。まだ陽は沈まぬ。最後の死力を尽して、メロスは走った。メロスの頭は、からっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、メロスは疾風の如く刑場に突入した。間に合った。

「待て。その人を殺してはならぬ。メロスが帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た。」と大声で刑場の群衆にむかって叫んだつもりであったが、喉(のど)がつぶれて嗄(しわが)れた声が幽(かす)かに出たばかり、群衆は、ひとりとして彼の到着に気がつかない。すでに磔の柱が高々と立てられ、縄を打たれたセリヌンティウスは、徐々に釣り上げられてゆく。メロスはそれを目撃して最後の勇、先刻、濁流を泳いだように群衆を掻きわけ、掻きわけ、

「私だ、刑吏! 殺されるのは、私だ。メロスだ。彼を人質にした私は、ここにいる!」と、かすれた声で精一ぱいに叫びながら、ついに磔台に昇り、釣り上げられてゆく友の両足に、齧(かじ)りついた。群衆は、どよめいた。あっぱれ。ゆるせ、と口々にわめいた。セリヌンティウスの縄は、ほどかれたのである。

「セリヌンティウス。」メロスは眼に涙を浮べて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が若(も)し私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」

セリヌンティウスは、すべてを察した様子で首肯(うなず)き、刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑(ほほえ)み、

「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」

メロスは腕に唸(うな)りをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。

「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。

群衆の中からも、歔欷(きょき)の声が聞えた。暴君ディオニスは、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。

「おまえらの望みは叶(かな)ったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」

どっと群衆の間に、歓声が起った。

「万歳、王様万歳。」

ひとりの少女が、緋(ひ)のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。

「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」

勇者は、ひどく赤面した。

(古伝説と、シルレルの詩から。)




2007/07/26

青年の想い

メンタルヘルス・ウェブログ

僕達は、結婚12年目に突入いたします・・・。この夏に・・。

もうすぐ梅雨が明けようかという頃、7月のある日・・・、永遠の愛を・・誓ったのです。(笑)
その日・・純白のウエディングドレスに包まれて、控え室の椅子に・・しっとりと腰掛ていた彼女を見た時の感動は、未だに忘れてはいません・・・。
そこいらの美人女優とは比にならぬ程・・
美しい人でした・・・。
・・・でした?っていうと、クレームが入りますが・・・!

そして彼女は・・・
あまり僕の方を見る事は無く・・・
凛として・・・たたずんでいたのを、よく憶えています。
かすかに・・・
瞳を潤ませながら・・・

こういう事を言うと怒られてしまいますが・・・
お身内の方々や友人、知人・・・
多くの来賓の方々の存在など、どうでもよく・・・
今、こうして・・・ここに居る僕達だけで、この感動を二人占めできたなら・・・と、感じていたのかもしれません・・・。

恋が安っぽくならないために・・・

僕は、これからもずっと、青年の心でいたいと思います・・・。
あの日・・あの時・・
ウエディングドレスに身を包み・・
柔らかに・・輝いていた妻へ・・・
心静かに、かみしめた自分の想い・・・。

歳をかさねても・・・
雑踏に揉まれながらも・・・
困難に押しつぶされそうでも・・・
ずっと・・・、
あの日・・あの時の・・・
静粛な心の極みを忘れずに・・・
いつまでも青年でありたいと思います・・・。


2007/07/24

道路脇の哀しみのこと

メンタルヘルス・ウェブログ

こういう事を考えるのは僕だけかもしれません。
いえ・・・、多くの人々に感じ取ってもらいたい事でもあり・・
多くの人々は感じてるのかもしれませんが・・
僕は、仕事中・・一日、外で過ごしているサラリーマンであり・・車での移動が一日の大半を埋めているんです。
ですから、いろんな場所・・地域・・道・・道路・・街・・。様々な風景の中で、仕事と家庭と妻と子供達と「うつ病」。
最後に僕自身のその日の感情やら人生観とか何やらを、未熟な脳ミソの中でフル回転させながら一日を生きているわけなんですが・・・。
今日・・・
僕の胸の中に飛び込んできた、その「何やら・・・」っていうのはね・・・
「道路脇に置かれた花束・・・」

今日はね・・、わりに国道とか・・幹線道路とかを流す事が多かったもんですからね・・
すると、道路脇に真新しい・・?花束が結構な頻度で僕の視界に入ってくるんですよね・・。
はっきりと、わかり易く言うと・・交通事故で亡くなられた方々に対する「花・・」。
過去~最近も含めて、御遺族の方々の想いが伝わってきてしまうような・・・。いろんな「時の」節目に対して・・遺族の方々が「想い」を動かすんでしょうね・・・
哀しい「事実」です。
僕が今日、目にしたのはね・・全て「真新しく美しい」・・「花束」。
当然・・・いきさつは、知りませんよ。どういう内容の交通事故だったなんてね。
でもね・・、アスファルトの上で・・・ひとつの命が消えた。っていう事実だけは僕の胸の中に響いてくるんですよね・・・。アスファルトって・・真夏とか真冬の深夜に裸足で歩くと、その非常な質感が理解できますから・・・。

全国の交通事故の年間死者数は一昔前の一万人規模を割り込んではきてますけど・・、死者数のカウント方法と車の安全性能の進化を加味してゆくと、ドライバーモラルの低下した現代の交通社会において、「数値」は妥当なのか?っていう個人的な意見も無きにしもあらず・・・?
話が、またソレちゃいますが・・・自殺者数は、その3倍・・・。
哀しいですよね・・・。
僕自身も何度も・・そういう、哀しい「現場」には遭遇してますから、交通事故は恐ろしいとかいう感情よりも、人間の生体としての「もろさ」の方がインパクトはありますね・・・。瞬間的に「物」となる・・・肉片の・・・
これ以上は・・、やめておきますが・・・。

命あることへの感謝、喜び、幸せ、希望・・・
毎日毎日・・肝に銘じておくなんて、出切る訳がないんですが・・・
でも、時折・・そういう「命」の尊さについて、今・・命ある、この暖かい胸に手をあてて・・・
深く感受するっていう事はね・・、
命ありし者の務めであるなと、感じるんですよ・・・・・。


2007/07/18

真面目に取り組んでゆくこと

メンタルヘルス・ウェブログ

うつ病を患っている人・・、個別の症状や度合いが違うのと同じで・・
患者をサポートしてゆく家族に関しても、それに対する物事の考え方ってゆうのは、家族自体の、うつ病に対する知識や考え方・・そして、生活環境や条件等を重ねてゆくと、いろんなサポートの形がありますよね・・。
そういう部分は、回復への期間を左右したり、症状の度合いも左右する要素であるっていう事は、否めないかとは思うんです。
家族は患者が病気を乗り越えてゆく上で、非常に重要な・・ポジションに置かれているわけですから・・・。
すなわち・・・、当事者である家族が・・いかに自分達の生活環境に沿った「サポートの形」を模索しつつも、考え出してゆくかって部分が必須の項目かとも思えてくるんですよ・・・。
きっちりと知識も得ながら・・主治医との連携もとりながら・・・
だから・・・一概にサポートの正しい形ってゆうのは存在しないのかもしれませんよね。
基本形を、個々の家庭の、生の暮らしにはスッポリと、当てはめにくいような・・・?
それから・・患者自身がうつ病だと気づいてない場合もあるようですしね・・。
ならば多分、家族も無関心ですからね。
ただ、初期の段階で・・患者が自信の疾患を把握していない場合、小さなサインを発見してやれるって事も家族にしか・・・又は、家族でないと気付かない事でありまして・・・。
とにかく・・、家族の存在は貴重ですよね・・。
主治医以上に・・でしゃばっても駄目。完全に主治医任せでも駄目。肩の力は抜いて・・・
ちょっと待って!・・・仕事や家庭の色々があるっていうのに!
こっちも毎日・・忙しいんだよ!
そんな難しい事やってられない??
しかしながら・・そういう事をやるに値する、根の深い病気であるっていう事は、決して間違った考えでは無いと思うんです・・・。
まして・・・大切な家族が苦しんでるんですから・・・
ところで・・・僕達の場合は典型的な破滅型闘病生活?に・・やや?近い形で、回復路線をたどっている訳でありまして・・、おそらくゴールまで・・こういうスタイルが崩れる事もないとは思うんです。勿論、長い長いトンネルの出口へと近ずくに従って僕の気苦労は減少してゆくんでしょうね・・・。
そういう僕の心情が見えぬ形で患者である妻にも伝わるでしょうし・・それは、妻にとっては安心っていう安らぎに似た感情をも生み出しながら良い方向へと・・・。
回復期の軌道に乗れば・・
今迄、互いに悩みの堂々巡りをしてたものが、希望の堂々巡り?に変化してゆくかもしれませんよね・・・。要するに、ひとつギアが噛み合えば、それにタイミングよく油を注いでやる事により、滑らかに回転しだすようなイメージを・・病気にも重ねる事ができるかと・・・?
そんなツボ?を早く感じたいところですね・・。
仕事も大切。
家族も大切。


2007/07/17

ブログへのインタビュー抜粋

メンタルヘルス・ウェブログ

うつ病のご家族に対するアンケート 2007年2月
●●大学大学院 ●●研究科 
心理学専攻修士●●●●
アンケート①では、各質問に対して、自由な表現で回答をお願いいたします。
説明文をよくご確認の上、各質問に対して、自由な表現で回答をお願いいたします。回答は、各質問の下の行にある→の後に、ご記入ください。


◎最初に、うつ病にかかられたご家族についてお伺いいたします。

①うつ病にかかられた方に、初めて体調の変調が見られた時期を教えてください。

→H13年4月ごろ
うつ病にかかられた方が、現在受けている治療について教えてください。

→投薬。

②(うつ病にかかられた方が、医療機関を受診されている場合のみお答えください)
医療機関での診断名について教えてください。
→うつ病

③うつ病にかかられた方の現在の健康状態についてお伺いします。ここまでの病状経過全体を見渡したとき、今はどのような状態にあると思われますか?また、うつ病にかかる以前のお元気なときの状態を10とし、うつ病にかかられてから一番状態の良くなかったときを0とした場合、今はどれくらいの数字で表せますか?(例:一番悪い時期を過ぎ、少し快方に向かっている状態,6くらい)
→一番状態の良くなかったときを0とした場合、やはり上記のように6位迄・・回復しているように感じます。過去も6のレベル迄、回復後2~3辺りに落ち込んだ時期もありますが、今現在の「6」というのは、落ちても「5」で止まる?であろうと実感できる「6」であります。

◎ご家族のうつ病との闘病を支えてこられた、これまでのあなたの経験についてお伺いいたします。

ご家族(=うつ病にかかられた方)の体調の変調に気付かれた頃のことをお伺いします。

①うつ病の症状が出始めた頃のご家族の様子はどのようでしたか?またあなたはそれについてどのように感じ、どう対応なさいましたか?
→対応のしようが有りませんでした。「総崩れ」の状態です。かなり荒れ狂いましたから・・。生活するという日常業務は家族の状態を無視して毎日毎日繰り返されます。その中で、家族は患者以上に苦しんだと言うのは間違いですが、少なくとも同等の苦しみを共存したであろうと感じます。「闘い」という表現はオーバーな表現では無いと感じています。しかしながら、そういう闘いが後々の介護側のエネルギーになっている事も事実です。

②体調の変調に気付いてから、医療機関などでうつ病との診断が下りるまで、どのくらい期間がかかりましたか。
→診断結果を追う治療では無く、その時々の症状改善を着目していたように思いますから、この質問には答えにくいところです。

③その診断を、あなたはどなたから聞かれましたか?(例:ご本人から聞いた、医師から聞いた)
→同上。

④その診断を聞いた前後で、あなたの気持ちなどに何か変化がありましたか?あった場合にはどのように変化したかについて詳しく教えてください。
→診断名に対しての感情は記憶にはあまり有りません。それよりも、症状がもたらす家庭崩壊に対して心身のエネルギーを吸い尽くされました。

ご家族にうつ病の症状が最も強く出ていた頃のことをお伺いします。

①症状が強く出ていた頃の、ご家族の様子はどのようでしたか?また、あなたはそれについてどのように感じ、どう対応なさいましたか?
→「荒れ狂う」。・・・その一言です。対応?という冷静な感覚で暮らす余裕は全く無く、振り回されて責められて・・・そんな思い出があります。

②その頃、ご家族のうつ病に関してあなたが「辛い」と感じたことはどんなことですか?
→上記と重なりますが・・・
やはり、家族生活が振り回されてしまい何もかもに関して「家族が患者に責められる」。これが一番辛かったことです。その辛みを抱えながら「尽くす」ことは、正直・・辛かったと感じます。

③その辛さの解決のために、誰かに相談したり専門機関を利用したりしましたか?
・(利用した方にお聞きします。)どのような方法をとられたか、できるだけ詳しく教えてください。また、その中で役立ったのはどんなことですか?逆に役に立たなかったのはどんなことですか?
→利用していません。
・(利用しなかった方にお伺いします。)何にも頼らず一人で頑張られたのはなぜですか?またもし一人でできる対処法をなさった方は、その方法について教えてください。
→利用しなかったのは、そういう行動が患者に対してマイナスであると思われたからです。
自分のせいで、家族もメンタルケアを受けている・・・。そんな感情が患者の病状を悪化させ、さらに・・良からぬ妄想を引き起こすであろうことは、介護する側が一番、敏感に察知できます。

④実際に利用しなかったとしても、「こんな援助があったらいい(よかった)のに」と思うのはどんなものですか?
→web上の援助、相談がベストではないかと感じたりもします。味気は無いでしょうが、患者に悟られる事も防げて、時間の制約も無い。勿論・・webという性質上、その危険性は同居しますが・・

⑤ご家族のうつ病との闘病体験に関して、ウェブログを書いたり、ホームページを開設している方にお伺いします。ブログやホームページを書き始められたのはなぜですか?また、それを維持しているのはなぜですか?ブログやホームページを書かれていない方は、次の質問にお進みください。
→少なからず・・同種の人々との交流が生まれるからです。世の中には公に相談機関に通えたりする人ばかりでは無く・・悩みに対して死ぬ勇気も無く生きながら苦しむ人々も居るかと感じます。まして、精神病という名は、我々のような営業利益を追求するサラリーマンの中では「中傷」という現象を生み起こす要素でもあります。(職場環境にもよりますが、私の場合は、このパターンです)Webは先程も述べましたが、危険な要素をたくさん含めています。私自身もブラウジングしていると悩みビジネス的なものも、よく見かけます。それに相手不詳のPC画面からの情報を取り違えると様々な障害をもたらしてしまいますが、不思議と・・私のような同種のテーブルの上の人達は画面上からも気持ちが伝わり・・その「判断」が可能になってくるようにも感じます。

⑥ご家族の状態がよくなかった時期はお辛かったことと思いますが、その中でも「嬉しい」「ほっとできた」と思えた時がありましたか?ある場合、それはどんな時ですか?そしてそのときあなたが感じたことを、出来るだけ詳しく教えてください。ない場合には次の質問にお進みください。
→「普通」を感じれる日。それは、病気上の感情の起伏によるものであったとしても、「笑顔」が家庭に存在する瞬間。それが、明日へとつながる一本の糸です。

⑦この時期、あなたとうつ病にかかられた方以外の家族の方はどんな様子でしたか?
→かなり極端な言い方をすれば・・・「外野」。
その言葉を、前向きに解釈するならば・・自分達が自分達の人生と向き合う為の「区切り」でもあると感じます。

ご家族の状態が一番悪い時期を過ぎ、快方に向かい始めた頃のことをお伺いします。

①ご家族の状態がよくなり始めた頃の、あなたのお気持ちをお聞かせください。
→その頃の「気持ち」は在りません。よくなり始めた頃・・自分と向き合う心の隙間など有りませんから。

②この時期、ご家族のうつ病が最も悪かった時期とはまた別に、なにか困ったことはありましたか(ありますか?)あった(ある)場合、どんな困ったことがあったか、またその解決のためにどんなことをされたかを、できるだけ詳しくおしえてください。
ない場合には、そのまま次の質問にすすんでください。
→困ったと言えば・・全て困ってましたが、やはり子供に対する事が複雑な心境をもたらしました。病気の都合で、学校を休ませ、幼稚園を長期欠席させ、苛立ちで叱りつけ・・・
解決方法は、今となっては対応策が間違ってなかったと信じる事が解決策自体かと感じます。

ご家族のうつ病を支えてこられた体験全体を通じて、お伺いいたします。

ご家族がご病気をなさる前後で、あなた自身やあなた以外のご家族、その関係などに、なにか変化がありましたか?あった場合、その変化について詳しく教えてください。なかった場合は、次の質問に進んでください。
→書ききれない程の「変化」はありました。
キリが無いので、一言で表すとしたら・・家族の原子は「他人同士」。ということです・・・。
今回のアンケートは、うつ病の方を支えるご家族に役立つ情報を提供することを目的にしております。これまでお答えいただいたこと以外にも、これからご家族のうつ病を支えていく方々にアドバイスなどがありましたら、ご記入ください。
→アドバイスする程の何様でもありませんが・・
私は「信じる」という行為は素敵なことだとおもいます。
この言葉は日常生活の中で氾濫?しているくらい・・ありふれた言葉ですが、重く。苦しく。辛く。哀しく。そして・・人を生かし、人が生きる為の力です。
信じることをやめないこと。
それは、素敵なことです。

◎最後に、あなたやご家族についてお伺いいたします。

①あなたの年齢  →  (  *  ) 歳
②うつ病にかかられた方の年齢およびあなたとの続柄  →  (  * )歳 続柄  
③おふたりのほかに同居されているご家族の性別と年齢 →
④あなたのご職業(例:会社員、自営業、パート、無職、・・・) →    *      
⑤うつ病にかかられた方のご職業(例:同上)         →     *  

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上・・、主婦学生としてメンタルヘルスの分野に学問的に取り組んでいらっしゃる方からのインタビューに対して私自身が回答した内容。
人は一生涯、「学ぶこと」と「挑戦」する機会を持ち合わせていると感じつつ・・・
興味では無く誠意でインタビューを受けた事に対して、回答したものであります。  


2007/07/16

女系家族

メンタルヘルス・ウェブログ
僕達、四人家族は女系家族ですから・・・
妻と娘二人の・・・女性が三人。・・男は僕一人ですね・・。
当たり前ですが・・ 計算が合わないと大変です!(笑)
僕も妻も、男の子が欲しかったわけじゃないっていうと大嘘になってしまいます。本心は・・二人目を身ごもった時は男の子だったらって、期待?してましたからね・・・。
でも妊娠後、何週も過ぎて・・産婦人科でお腹の中の画像をとりますよね・・。すると段々、性別がはっきりしてくるもんですから、先生から「多分、女の子だね」って言われた時は、二人で苦笑してましたけどね・・。
そうして小さく可愛らしいベイビーが出てきてみれば、やっぱり女の子!
しかしながら、生まれた瞬間からは「男の子希望」って事は即・・過去形となり、「やっぱり女の子は可愛いなぁ~」に・・変わっちゃってました・・(笑)

女系家族って・・・
例えばテレビを見てるとしても、チャンネル権は女・・不利なんですよ・・。
歌番組の裏で、ドキュメント系を見たいと・・僕が主張?したとしても・・・
「負けます」ね・・・。
「お父さん・・録画したらいいでしょ・・」・・・と。
ドキュメント番組なら、まだいいんですが・・・
プロ野球中継を見たいって言っても・・同じ事を言い返してきますからね・・
「そんなもの・・・録画して後から見るようなもんじゃないだろ!」って、僕がハッキリと主張しても、理解は得られません(笑)。
買い物に行ってもそう・・・
紳士服売り場は、ほとんど素通り・・?
だから、あと10年経ったら・・さらに如実に「女性主義」が湧き出てるような・・・?
肩身狭いですね・・・・笑!
ただ・・・女の子って頼れますから・・・
僕が「おじいちゃん」になった時・・・、面倒見に帰ってきてくれるのは、どちらかと言うと女の子の方かなって思うんですよね・・・。
男は外に出ちゃいますからね・・・。
出てしまったら都合のいい時しか・・、なかなか親のトコへは帰んないような?・・気もしてきます。(これって、自分に当てはめての話なんですが・・)
ですから、今となっては・・・それはそれでいいんじゃないの?と、感じてるんです・・・。
でもやっぱり・・・
父親たるもの、息子とキャッチボールをしてみたいっていう夢?って万人共通かもしれないなって・・・思わないこともありませんが、こういう考えも男の子が居ないから思うのかもしれませんよね・・・。
でもね・・
妻が調子を崩した時なんかは、小学生ながらに立派に、洗い物をしてくれる娘・・・
そういう繊細な気遣いは女の子ならではかと・・・。
小さな体で、ちゃんと代役を務めてくれてますから、たいしたもんです!
妻からすると・・・僕より、頼りになってたりするような??・・・それは言いすぎ?(笑)
さて・・・もうすぐ通信簿を持って帰ってくる頃ですね・・。
噂によると、成績は落ち目だとか・・・
まあ・・いいよ。今回も許しましょう・・・!


2007/07/14

枯れぬ想い

メンタルヘルス・ウェブログ

スズラン。
春になると、まだ少し・・冷たく固い土の表面を突き破るようにして芽を出してくる・・・。
そうして、低い背丈でうつむくように白く可憐な小花を咲かせ・・
うっすらと芳香を漂わせる多年草の一種です。
僕的には「可憐」ってゆう印象がピタリときますが・・・・。
厳しい冬の到来と共に、地上部は完全に枯れてゆき・・無残にも?茶色く萎れた葉は、やがて土に溶け込んで消えてゆきますよね・・。
しかしながら、地下茎はしっかりと次ぎなる芽生えに備えて力強く静かに・・
生き続けてます・・。雑草のようにグチャグチャに踏まれてもメゲズニ起き上がってくるわけでも有りません・・。
また・・、じっと土の中で寒さに耐えていたわりには・・・
派手で華やかな花を咲かすわけでもなく・・・。
けれど、年々・・・地下茎を広げ・・、ジワジワと力強く存在感を高めて・・・。
似てますよね?・・うつ病家族と・・?
いろんな問題に押さえ込まれて・・もうダメだ・・と、・・・
実際・・枯れたように力尽きる・・・。
けれども・・本当に枯れてしまったりはしません・・・。
ちゃんと根っこが支えてくれてます・・・。
そして、再び芽生えてゆく・・・。
地味だけれど・・・純粋で眩い生命力に満ちながら・・・
確かに・・、毒も持ち合わせています・・・。
相手を傷つける事だってできるんです。
でも本当は・・しゃがみ込んで、うつむいた顔を覗いてあげると・・・
優しい薫りを漂わせながら・・・にっこり微笑んでくれてるような・・・
似てますよね?・・うつ病患者にも・・?
そんなスズランのように・・・
僕たちも枯れることなく生きてゆきたいなと・・感じますね・・。



2007/07/11

戸惑いのコントロール

メンタルヘルス・ウェブログ

人間うまくいってる時は、そのまんま・・うまくいくだろうって考えがちで・・、うまくいってない時は・・もっと悪くなる事ばかりを考えてしまいがちのような?ところ、ありますよね・・・。
例えば、何かで儲かり続けてる時って・・・まだまだイケる?なんて舞い上がってしまいながらも・・行き詰まってきだすと、お先真っ暗的な気持ちになりがちなような?
ちょうどバブル末期から、そして崩壊しだす時代なんてゆうのは・・そういう想いの人々が、たくさん居たのでは?と・・感じてしまうんですが・・・。
(例えが極端すぎますね・・・笑)
仕事にしても、いろんな意味で順調にいってる時って、次の人事が楽しみだとか・・
何してもダメな時は、連鎖的にミスを発生させてしまったり・・・。
その時の「運」みたいなものに「気持ち」を合わせてしまうんですよね。そういう事に対する戒めとして「油断しない」とか「プラス指向」って言葉があると思うんですが、なかなか・・そんな風に自分を上手にコントロールし続けられてないのも実際のところかと・・。

最近・・妻の調子が微妙に良くなってきた事に対する、「とまどい」を少しばかり、感じるんですよ・・・。
僕自身、今の妻の状態に対して、どんな気持ちの持ち方をすればいいんだろうか?と・・・。調子の波間の度に、毎回毎回こんな想いをしてきたわけでは無いんですが・・・しかし今回は過去の波間と違い、初期の荒れ狂う症状に酷似した言動がみられた為・・僕は今後の症状の経過を気にはしています。かなり・・・。
しかし今のところ良好・・・。それは病種が変化していって、さらにダウンしてゆく予兆なのか?それとも、末期を迎えて・・うつ病の最後のひと暴れなのか?考えだすと、不安と期待の混ざったような気分になってしまうんですよ。確かに妻は最近・・日常のいろいろな事にも「やる気」が芽生えてきたように思いますからね・・・。そんな最近の妻の側に居る・・僕の気持ちの中で・・・。
これは節目?なんだろうか・・・?うまくいってるはずなんだけど・・・
もっと良くなってゆく。・・・と、期待感を感じてもいいんだろうか?
いや・・、油断したら駄目。また・・・?
過去を振り返ってみて、平均的なリズムの上下の幅を、今回・・、下にも上にも抜けてしまったもんですから・・、僕的には何かしらの予感を感じずにはいられませんからね。
ちょっと思った事は・・・
油断はしないとしても、「もうすぐ治るぞ!」と僕の頭の中で、イメージしてみようかなと・・・。
「念ずれば動く」ではないんですが、ある程度の可能性のある事って、気持ちだけでも・・いつも「そうしたい・そうなりたい」って想い続ければ、ホントに達成することができる?って・・どこかで聞いたような記憶ありますしね・・
「不思議な心の力」とでも言いましょうか・・・。
だから・・・「きっといつか元気になる」では無くって・・
「もうすぐ治る・・治りそう」と・・。ちょっとした節目を感じる今、今まで以上に念じてみようかなって思うんです。
念じる?なんて言うと・・重苦しい感じがしちゃいますが・・・
トンネルの・・・「出口は近い?」と・・・自分を静かにイメージコントロールしてみようかと・・・。
「今」はどういう「今」なんだと・・・とまどう自分自身に対して・・・・・。


2007/07/07

離婚について想うこと Ⅱ

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妻は一応、僕の離婚歴を知っているんです。ちょうど交際中の事だったんですが・・・。僕はどうしても離婚の事を告げておかなければならないっていう衝動にかられた訳でもなかったにしても、どこか胸に引っ掛かる部分もあり・・思い切って過去の事を打ち明けたんです。すると彼女はうつむいて目を合わさずにじっと聞いていましたね・・・僕も「そういう事があった」・・・とだけ伝えましたから・・。あんまり詳細を伝えるのも失礼かと・・?しかし、この短い会話は後になって非常に功を奏すこととなったんです。それは何かと言いますと・・・、役所での出来事でありまして・・僕は人生二度目の婚姻届を提出しに妻と二人で役所に出向いたんですが・・・、入籍手続きの際、カウンターの向こうから出された抄本には、なんと別れた女性の名前が記載されているじゃありませんか!しかも役所の方は沈着冷静に・・・「これは・・?どうされます?」なんて聞いてくるもんですから・・・僕も、僅かに硬直してしまいながらも、「いい方法はありますか?」・・・と。
結局は戸籍上、抜き差しを繰り返して名前を削除?してもらい・・・晴れて身も心も個人情報もリセットする事となったんです。バレル?って言うと変ですが、先に正直に伝えておいてよかったなと・・・。
ところで・・・妻は僕との11年間の結婚生活の中で、この僕の過去に・・・ただの一度も触れる事はありません・・・。役所でのハプニングの際も妻は言葉には、しませんでしたから・・、この話題に関しては一番最初の報告時のみであり~その後・・現在迄、「封印」されてしまったかのように・・・。それは、妻の僕に対するモラルなのかもしれませんね。当然その事を妻が引きずっている訳でもないんでしょうが・・。また、うつ病が、その過去の記憶を引っ張りだしてきてゴチャゴチャと、心がうごめく事も無いようです。重要度の高い記憶は一生忘れる事なんて無いと思いますし、過去って消えませんよね。何したって・・・。時の流れが忘れさしてくれたとしても、消えて無くなる事はありえないような?仮に、いくら内緒にしておいたとしても・・ささいな外的要因でもって簡単にバレテ?しまったりもするような?(僕は、隠し通すのが嫌だったから自白したんですが・・)

離婚っていうのは、それまでの関係を解消するのに多大な労力を費やし、それからの人生においても確実に「跡」を残し、さらに将来・・触れ合う人間に関しても陰ながら付きまとうような気がするんです。別に、後悔の念が残るわけでもなく、その後の実生活に支障をきたすものでも有りませんけどね。だから僕は離婚後はサバサバとドライに受けとめるように努めましたが・・。でも、跡は残っています。
お互いに傷つけ合った事に対してね・・・。
ならば、もし離婚っていう選択肢を避けられぬ状況であるならば・・・「よく考えて」なんてレベルでは無くって何度も何度も何度も・・・離婚という答えは正しいのか?間違っていないのか?それで自分は幸せなのか?・・と、悶々と悩みぬいて・・周りのアドバイスを全身で受けとめて・・ようやく辿り着いた所で、さらに悩み直しながら到達する結論として、出た答えであるならば・・きっとそれは、幸せへの新しいスタートになるかもしれませんよね。僕もそうですからね・・・。だとしたら・・離婚っていうのは、結果では無く・・経過地点と考えられなくもありません。そして結果は後からついてくる・・・。結果というのは自分自身の幸せであり・・悩みぬいた末に、出した結論っていうのは「きっかけ」が「理由」として変化したものであり・・・おそらく、その結論は・・・自分が幸せになる為の踏み台になるかもしれませんね。それに、離婚してから自分が不幸であったとすれば・・あまりにも自分が可哀相だと思うんですよ・・判をついた瞬間にピリオドが打たれるんですから・・間違っても「やり直し」は効きませんから・・判をつくまでの疲労は段々と和らいでゆき・・今度は虚しさがジワジワと押し寄せてきて深い孤独感を生じさせて・・・。

そんな時、踏張れるも、そうでないのも、全て・・・、自分の力だけ。パートナーはすでに・・・いません!二人で一人だったものが、一人で一人になるんですからね・・・。

しかしながら・・・それでも離婚という結論を出し、二人・・寡黙に離婚届に判をついた「理由」が少なくとも僕には芽生えていたんです・・・。
それは・・・
「離婚した方が、相手は幸せになるはずだ」 と・・・。
それが僕の離婚理由なんです。このまま傷つけ合うよりも、離婚した方が彼女は幸せな人生を歩めるに違いないと・・・。さらに、それは僕が幸せになる事でもあると・・・。若いながらに極度の疲労感の中で、到達した答えだったんです。起こってしまった・・・金銭問題がどうの・・、浮気がどうの・・、中絶がどうの・・、っていう諸問題が二人をどんどん苦しめてゆく中・・全てのきっかけが結び付いた一点の真実の先に見えてきた・・・離婚する理由。
具体的で、はっきりとした諸問題よりも言葉にしてしまうと、なんだか曖昧に思える・・・
「これからの相手の幸せ」。
でもね、もう迷わない・・・。これでいいんだと・・・はっきりと決断に導いたものは・・・
この理由だったのです。
そして・・・今。
長い年月が経ち・・・うつ病っていう病気と格闘しながらも・・
僕は愛する妻と子供達と共に・・幸せに暮らしているんです・・・・・。


離婚について想うこと Ⅰ

メンタルヘルス・ウェブログ

約15年位前でしょうか・・・僕は離婚を経験しているんです。
結婚記念日は覚えていても離婚年月日などは記憶してないので、約・・となるわけなんですが・・・。
当時、バツイチっていうのは結構、暗いイメージのつきまとう言葉でありまして、知人なんかも「えーっ離婚!」てな感じで僕の事を見ていたように思い出されます・・。今の世の中では「バツ3」位でないと、そんな目で見られない程・・離婚という行為が社会に受け入れられているような気もしないではありませんね・・。僕が離婚を経験した頃は今ほど、テレビのワイドショーなんかで「離婚ネタ」は多くなかったように思いますし、番組の記事の中でも「結婚ネタ」と「離婚ネタ」が混ざって取り上げられる?ような風潮もなかったと感じます。ですから・・離婚っていうと何かこう・・隠す必要のある経歴のような言葉だったはずです。
その頃は僕も若く・・振り返ってみれば原点である結婚自体に対して短絡的かもしれぬような観念があったように思うんです。高校を卒業して大学進学を中途半端な形で諦めてからは早く独り立ちしたいっていう、よくあるパターンでアパートを借り・・・アルバイトで生計を立てだします・・。そして恋もし・・遊びも覚えて・・あぁ青春の一ページ・・・っていう暮らしの中で、ある女の子との出会いがあり、同棲生活が始まる・・・銭湯に通いながら、一緒に居れば恐いものなんか何ひとつない?・・・なんて日々が過ぎてゆき、結婚というよりは「籍を入れる」っていうイメージの新しい人生のスタートを切ったわけですが・・、一緒になった「きっかけ」は、たくさん有るんですが「理由」に乏しく、いつの間にか背を向け合う関係となるのも時間の問題だったんでしょうね・・・。離婚する「理由」は、これといって無いんですが別れる「きっかけ」が多数、浮き彫りになってくるんです。そして「離婚」。これまた離婚するっていうよりも離婚届けに「判を押す」っていうイメージでしたね。
僕が、離婚により得たものっていうのは結果的に虚しく費やした時間の空間と借金・・・。何の借金か?というと、書き出すと膨大な字数になりますし・・・あんまり思いだしても無意味なのでヤメトキマスが・・。でもね、若かったですから!○00万位の借金なんて、可愛らしいもので・・汗と根性でみるみる内にゼロとなっていったんです。ゼロとなってしまえば今度は逆にプラスへと方向転換しだし・・少しの間は、再び贅沢できてました(笑)。
そんな贅沢しながら・・心のダメージも回復しつつ・・・就職もし・・・今の愛する妻と出会い・・・。そして今・・・。
離婚というものは、お金の清算とか親権問題も生じますし(僕らには子供が居ませんでしたが・・)親戚関係にも波紋を及ぼします。結婚する事よりも、何倍ものエネルギーを費やすっていうのが僕の個人的感想?なんです。とにかく離婚理由がなんであれ憔悴(しょうすい)しきりますから・・・。変な話、離婚事でうつ病を患うかもしれませんね・・・。
そして今・・・別れた人に対して言うのも妙な気分なんですが、今頃どこかで・・いい人と出会い幸せに暮らしていればイイナって、思ってるんです。何年もの時が流れて~当時の損得勘定など、影も形も存在してません・・・。
まぁしかし・・・、あの時は疲れました。(笑)

僕は今、うつ病の妻と幸せに暮らしているんですが・・・
それは確かに離婚の「きっかけ」となりうる、家庭の問題であると認識してはいます・・・。
しかしながら・・・「きっかけ」と「理由」は別物であるっていうのが個人的な考えでありまして、「きっかけ」みたいなものは、うつ病であろうが不妊症であろうが浮気であろうが・・普通に結婚生活をしていれば、大なり小なり存在しないわけがなく・・・それが決定的な離婚の「理由」となるかと言えば・・・そうではないのでは?と考えているんです。勿論・・・暴力は「きっかけ」には該当しませんでしょうし、法の下で争う場合には「きっかけ」も理由として記すことは出来るんですが・・・。
人間対人間の心の部分で考えるならば・・・「きっかけ」を何個かつなげて離婚してしまうのは・・・
僕は男として「出来ません」 そして・・・
「愛はあきらめないこと」と思うんです・・・。一見・・・美辞麗句のように聞こえがちな感じもするんですが・・・
結婚した女房が歳と共に、「あばたもエクボ」・・・とはイカナイ部分も見えてきだし・・・ましてや精神疾患なんていう重要な問題まで出現してしまえば、それは・・・立派な「きっかけ」となりますよね。
だとしたら・・・うつ病を患う事がなければ「きっかけ」は出現しなかった・・・。ならば?うつ病が治れば「きっかけ」は消滅するのか?=離婚したいっていう気持ちも消滅するのか?

だから・・・離婚申し立て理由として病気を掲げるって事は・・・男の言い訳?
ただし・・・
僕も離婚という過去があるこそ、今こうして・・・
愛する妻と、巡り会うことができたんですが・・・・・



2007/07/03

愛しどころ

メンタルヘルス・ウェブログ

僕は、自分の二人の娘を・・・とても愛してます。
とてつもなく、愛してます。裏返して言うと?他の父親と同様に愛してます。
そんな・・・、
僕の立場的から考える・・我が娘を愛するっていう心の道筋?なんですが・・

僕はこう見えても家庭の中では社長職ですよね(大笑!)父親ですからね。・・・いや、そんな事ない!家庭の中で父親が一番偉いんだなんて古めかしい考え方は今時ナンセンスだっ!っていう方々も、たくさんいらっしゃるはずですね・・・。それも正しいと思うんですが・・・ここはひとつ僕の個人的主観ということで・・・。
父親としてね、娘達を愛するのは自然であり当然であり本能であり・・・、逆に愛するなと言われたとて、それは無理な話であります。その関係に何らかの亀裂が生じ、半ば「恨みあう」関係となったとしても心の奥底には愛情っていう二文字が消えることはなかろうかと思うんです。さらには愛情が消えた?と見えても・・・それは封印されてしまっただけで、消滅した訳では無く・・・ちゃんと愛情は残っている?
別に・・・わざとらしく?子供達に対して愛情を降り注ぐ必要も無く・・・、その心底の愛情さえ有ればいいと思うんです。両親健在の場合に限っては、子供達も父親から愛情を感じたいって思う事よりは、どちらかというと母親からの愛情を重んじるんじゃあないかと・・・?社長はドーンと自分達を守ってくれていればヨシ!身近な相談事は直属の上司?である母親にすればいいわけであって・・・。しかしながら、我が家は娘二人なもんですから、こういう考えになってしまうのかもしれませんが(小笑)・・・。
結局僕は何が言いたいのか?
それはね・・・
僕が娘達をとてつもなく大切であり愛してるって思うなら・・・まず先に僕の妻を愛する。
妻は、うつ病を患ってますが、ここでは・・・うつ病抜きでの話しです・・・
すると・・・、妻は自分の子供達への愛情に、僕から注がれた愛情を加えて・・・、僕と妻からの愛情として子供達に伝達してくれる・・・。
別の言い方をすると・・・僕が子供達に直接的な愛情を注ぐよりも、妻経由で子供達に愛情が届いた方がよい??だから・・・まず先に妻を愛するってことが大切なような・・・?。
夫に愛されている奥さんは、自信をもって子育てしますよね。多分。中間管理職?の妻は愛されて信頼されると部下?の指導能力もグングン伸びるんでしょうし、指導される部下だってヨソミしないでしょうからね。
家庭の中で、愛されている母親が存在するって事は素晴らしい事だと思うんですよ・・・。
素晴らしいっていう言い方もあるんですが・・・、何よりも家族みんなが暮らしやすくて得しますよね(笑)
母親っていうのはそんな存在であり・・・
父親っていうのはこんな存在である・・・
そういう考え方も・・・ひとつの幸せを築くうえでのベストな方法かと思うんです・・・。

♪・・・・・あなたにありがとう 作詞作曲 中山 真理
あなたがいたから がんばってこられたんだね ひとりぼっちなら とうに くじけてた
あなたがいたから 元気でいられたんだね いつも 励ましてくれてたからだね
どんな(どんな)時も(時も) 支えてもらったから 
つらいこと いやなこと いつしか 忘れてた
あなたに ありがとう 
ありがとう ありがとう いつまでも だいじな宝物
そばにいたこと

あなたがいたから 楽しく過ごせたんだね けんかをした日は 笑えなかったよ
あなたがいたから 優しくなれたんだよね いじわるな気持ち 消えて行ったよね
どんな時も 支えてもらったから
つらいこと いやなこと いつしか 忘れてた
あなたに ありがとう
ありがとう ありがとう いつまでも だいじな宝物
そばに いたこと
そばに いたこと・・・♪


2007/07/02

自殺について想うこと

メンタルヘルス・ウェブログ

最近は自殺に関するニュースが連日のごとく、お茶の間に飛び込んできますよね・・・。
一見クールに?その内容を報道してるんですけど・・・。
あんまり、ニュース化しない方がいいんじゃないか?って思うのは僕の個人的考えなんですけどね・・・。
本気で・・・では無くって、自己主張的に・・・。そういう行為をする人々があおられて・・・結果的に未遂が未遂でなくなってしまうような?
失敗してホントに死んでしまう?
だから・・・、あんまりメディアで注目すると・・未遂で十分な人々もあおられる?ような気がしないでもありません。先日のあるテレビの特番で自殺について考えるっていう内容の番組をしてたんですけどね、妻は見てましたね・・・。その横で子供達もね・・・。普通の家庭だったら、そんな討論番組を見ながら「考える」っていうのも必要な?ひと時かもしれないんですが・・・僕達は、うつ病家族なもんですからね・・・、なんかこう・・・嫌な気分になり、「チャンネル変えていい?」って意見したんですが受け入れられずに、結局4人で見てたんです・・・。番組の中ではいろいろと難しい論争を繰り広げていたんですが・・、
僕的には学識高い人達の意見や、自殺経験者の声はほとんど耳に入ってくることは無く・・・、テレビの画面と見入る家族の横顔を交互に確認しながら何度ともなくチャンネル権を奪おうと考えていましたけどね・・・。


ひとりぼっち・・・?
今、ひとりぼっちなだけですよね。
今を・・どんどん繰り返して未来になって・・未来が今に、またなって・・・
平等に過ぎ行く時の流れの中で・・・いろんな人に出会い・・・
ひとりぼっちは過去となり・・・
笑って振り返れるのも、今ひとりぼっちなおかげかも・・・?。

何かに負けたから死を選ぶ?
でもね・・・負けても人生終わりじゃありませんよね。
負けたって、また始まりますから・・・
人生が始めさせてくれるんですよね。必ず・・・。
人生は人生の、いい相棒です。
終わりってゆうのは、人生を途中でやめることですよね。
だから負けたって、「終わり」じゃないんですよね・・・・・。


2007/07/01

世界がもし100人の村だったら

メンタルヘルス・ウェブログ

両親が他界して前向きに生きてゆく子供・・・
両親が殺されて前向きに生きてゆく子供・・・

バーチャルなゲームで銃撃戦を楽しむ子供・・・
国と家族を守る為に10歳で実弾訓練を受ける子供・・・

単純比較は決してできはしませんが、同じ地球の上では、いろんな生き様がありますよね。
時に比較してみること・・・

世界がもし100人の村だったら
作者不明  訳:なかのひろみ

もしも今日がついていない一日だと感じたあなたも
 これを読んだら現実が違って見えるかも
 もし 現在の人類統計比率をきっちり盛り込んで、全世界を
 人口100人の村に縮小するとしたらどうでしょう。
 その村には・・・・    
 57人のアジア人   
 21人のヨーロッパ人 
 14人の南北アメリカ人
  8人のアフリカ人 
 52人が女性
 48人が男性
 70人が有色人種
 30人が白人 
 70人がキリスト教徒以外
 30人がキリスト教徒   
 89人が異性愛者
 11人が同性愛者
 6人が世界全体の富の59パーセントを所有し、
 その6人ともがアメリカ合衆国国籍  
 80人が標準以下の居住環境に住み
 70人は文字が読めず
 50人は栄養失調
 ひとりは死にかかり、ひとりはもうじき生まれ
 ひとり(そう、たったひとり)は大学での教育を受け
 ひとりがコンピュータを所有している。
もしあなたが空爆や襲撃や地雷による殺戮や
武装集団のレイプや拉致におびえていなければ
そうでない20人より恵まれています
 もしこのように縮小された全体図からわたしたちの世界を見る
 ならば、いかに相手を受け容れること、理解すること
 そして教育が必要かは火を見るより明らかです。
 次のような視点からもじっくり考えてみましょう。
 もしあなたが今朝、病気と言うよりは健康だなと思って目覚めたなら・・・
あなたは今週生き残ることのできないだろう100万人の人たちより恵まれています。
 もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や、獄門の苦悩、
 あるいは餓えの悲痛を一度も経験したことがないのなら・・・
 世界の5億人の人たちより恵まれています。
 もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または
 死の恐怖を感じることなしに教会のミサにあずかることが
 出来るなら・・・・世界の30億の人たちより恵まれています。
 もし冷蔵庫には食料があり、着る服があり、頭の上には屋根が
 あり、寝る場所があるならば・・・あなたはこの世界の
 75パーセントの人々よりお金持ちで
 もし銀行に預金があり、お財布にもお金があり、家のどこかに
 小銭の入ったいれ物があるならば・・・・あなたはこの世界の
 中で最も裕福なものの上位8パーセントのうちの一人。
 もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ
 一緒なら・・・・それはとても稀なこと
 もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間
 2倍の祝福を受けるでしょう。あなたのことを思ってこれを
 伝えている誰かがいて、そのうえ、あなたは全く文字の読めない
 世界中の20億の人々よりもずっと恵まれているのですから
 昔の人がこういいました。わが身から出づるものは
 いづれわが身に戻り来る、と。
  お金に執着することなく喜んで働きましょう
  かつて一度も傷ついたことがないかのごとく
  人を愛しましょう
  誰もみていないかのごとく自由に踊りましょう
  誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう
  あたかもここが地上の天国であるかのように生きましょう