2007/08/31

普通の眼差し

メンタルヘルス・ウェブログ

限りなく純粋
真面目
汚れを知らない
ちょっと言いすぎ・・・(笑)
おそらく精神病患者に対して、偏見を抱いている人々は実際に患者と触れ合うならば、今迄・・思い描いていた、そのイメージに違和感を感じるのではないかと思うんです。例えばのケースで、病院、施設の建設話が持ち上がった場合、全国見渡して大方の地域で反対多数の署名が始まり・・・
なんとかして自分達の安全な?町を守ろう?とする。
・・・のが実際のところでありましょうし、通学路等があるならば警備員を・・?
さらには、危害を及ぼした場合の対処策・・等の要望が飛び交いつつ・・、まさに自己の暮らしを脅かされるといった感のある群衆心理がうごめきますよね。
個人的には、わかるようで・・わからないような複雑な心境でありますが・・・。
家族という単位を越えて地域社会っていう尺度で考えたならば、これは非常に難しい問題でもあります。
僕も、これから機会があれば、こういった問題に学びの姿勢で向き合っていきたいなと感じるところではありますが・・・。
地域社会の中において、もはや40人に1人が何かしらの心の病を患う現実を踏まえたうえで、
一番最初に必要であり、逆に現在の不足している部分っていうのは・・そういった人々に対する「普通の眼差し」。
僕は・・こういう事が大切ではないかと感じるところであります。

「普通の眼差し」・・・。
かばい過ぎることなく、避けることも無く・・。
あくまでも普通に・・。
そして病者の人々の中の「ひとり」という受け止め方では無く、ひとりを「ひとり」として受け入れる・・・。
それは一番・・病者に優しい、なによりの支えではないのかと感じますね。
けれど・・・家族っていう単位の範囲内においても、「普通に・・・」っていうのは、なかなか難しいのと同様に、地域社会においても、そう簡単に一言で皆が同じ方向に向かうわけでも在らず・・・。逆に・・・「そりゃ、理想だけどな・・・」と、終わらせてしまいがちな問題にも思えてみたりと・・・。
だからと言って・・今迄のように遠巻きに敬遠し続けてゆくには、そろそろ限界にきているのではないかと・・。

人間関係の歪みが深くなってゆこうと考えられる昨今・・
やはり、今・・・忘れ去られかけた人の心の温もりを呼び戻す事に背を向けてはならないなと・・呟やいてみたのであります・・・・・。



2007/08/29

段差無き世の中

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日本の入院患者数の四人に一人が精神病患者であり、毎日80人以上が自殺する・・・
実際の暮らしの中における、それらの精神病に関わる人々を、とり囲む環境となると・・・
切実な問題であるにもかかわらず、遠目にしている・・・?
いえ、遠目にしているって言うよりも自分の事が精一杯だから他人の悩み等々にかまってる暇なんて無い・・?
そして、接近するなら距離を置き・・違和感ならぬ偏見を身にまとってしまう・・・。
関わりの無い人々からすると、そんなところであるかもしれませんよね。
つまりは・・・
うつ病を含む精神病患者っていうのは、どうしても偏見といった類の受け止められ方も無きにしもあらずであり、
そんな・・僕達も十分にソレを味わっていますから、偏見という語句に対しては、それなりに敏感になるもんであります。

付き合わない方がよい・・
危険・・・
親も子も同じ・・・
勿論・・過ぎた事であるからして、偏見という形で受け止めたであろう当時の気持ちはコンプレックスや怨恨とは少し違ったニュアンスに変化してますが・・・。
だから・・・もっと増加していくであろうメンタルな諸問題に対して・・・
少しでも段差の無い世の中であればいいなと感じるところでもあり、

暗いニュース報道の中に頻繁に出現する言葉・・・
「精神鑑定を・・・」
そういった事件性とは分離した・・心の病者に対する観点を再認識する事が大切ではないかと考えてみたりと・・・。
多分・・精神病者に対して恐怖を感じている健常者は・・・
精神病者が、ある意味で健常者に対して恐怖を感じているという事を認識していない。
そこに段差がある・・・。
そんな事を思ったりも・・・するところであります。



2007/08/28

君が必要・・

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愛は・・・
長く・長すぎる道のりの中
苦境・・逆境・・悲運・・
時に、それらに対して・・
強く・・反発しながら・・・
大きく・・成長を遂げてゆくもの・・・

だからと言って・・・?
長い・・長い・・
無関心には・・・
逆らえずに・・・
知らぬ間に・・・
衰退してしまうものでもあり・・・


そんなことを・・・
教えてくれるのも愛。
ならば・・
そこから始まる時だってある。

よかった・・・

僕らは・・
求め合う二人・・・

僕は・・雄では無く・・男。そして父親。それに・・・君を必要とする一人の人間
君は・・雌では無く・・女。そして母親。それに・・・僕を必要とする一人の人間

ノーメイクな・・愛情のキャッチボールは・・
まだ、始まったばかり・・・・・



2007/08/25

夏の風情

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「西瓜」(すいか)。
そして、英語では「WATER MELON(ウォーターメロン)」。
この酷暑の中・・・
水分たっぷりの冷えたスイカの甘さは喉を一瞬で潤してくれるものであります。
その成分は90%以上が水分で10%近くが糖分と言われており。果汁には、利尿作用が
があるカリウムやシトルリンが含まれ、西瓜の利尿作用は、むくみを改善する他、尿と一緒に余分な塩分を排泄することから高血圧や動脈硬化、膀胱炎、腎炎にも効果があるということです。さて、よく店先でスイカを選ぶ時に軽く叩いて品定めされる方が多いのですが、西瓜は、ほんの軽く叩いた時の音と手応えで中身の状態を判断する事が出来ると言われていますよね。熟しきってしまっている西瓜は「ボテボテ」という鈍い音がしますが、これはスイカの中がタナ落ちして、空洞が広がっているためであり、反対に若過ぎるスイカは「ピンピン」という感じの高い音になるようです。そして食べ頃のスイカの音は「ポンポン」という感じの非常に良い音がします。とは言いましても・・
僕自身もスイカを叩きながら、わかったようなわからないような?顔をして品定めをするんですが正直申しまして殆ど確信無く判断しているのが実際のところかもしれません(笑)

スイカをほおばりながら酷暑の中にも風情なんかを感じつつ・・・お盆も終わり、そして地蔵盆も終わり・・・暑い暑いと言いながらも僕自身は秋はもうすぐだなと秘かに期待しているわけでもありますが先日も、この地蔵盆では小さな子供達が浴衣で身を包み夕暮れの中にキャッキャとはしゃぐほのぼのとしたひとコマが地域の各所で見られたかとは思うんですが・・・
お地蔵様は各地域の神様(民間信仰)ではありますが基本的には仏教に所属する地蔵菩薩でありますね。しかしながら僕達の感覚としましては、やっぱり色んな面で人々を救済してくれる存在であり、また・・子供達の守護神として鬼から守ってくれている。
僕自身は特に信仰深い人間ではありませんが、お地蔵さんはそういう宗教の枠から少し離れた位置からでも人々の心に安堵と癒しを分け隔て無く与えてくれているような気がしないでもありません。
ひとつひとつ、夏の行事を終えてゆきながら秋の気配を感じ出す・・・。
今年もまた、そんな夏であり・・
夏休みも終われば、知らぬ間にこの夏を振り返っている。
それは僕にとっては幸せな「夏」でもあります・・・・・。



2007/08/20

1億2,705万3,471人

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住民基本台帳に基づく人口・人口動態及び世帯数
(平成19年3月31日現在)
全国の人口は、1億2,705万3,471人
全国の人口は、調査開始(昭和43年~)以来はじめて減少に転じた昨年に引き続き2年連続減少(1億2,705万5,025人→1億2,705万3,471人 対前年 △マイナス1,554人)
自然増加数(出生者数-死亡者数)は、昨年、調査開始(昭和54年度~)以来はじめてマイナス(△マイナス6,748人)となったが、本年度は出生者数増加により、プラス(1万743人)に回復。一方、死亡者数は調査開始以来最高。
社会増加数((転入者数-転出者数)+(職権記載数-職権消除数))はマイナス(△マイナス1万2,297人)。
三大都市圏(東京圏、名古屋圏、関西圏)の人口が、現行調査方法を用いた平成4年以来はじめて全国人口の半数を上回る
仙台市の総人口が100万人を突破し、100万人都市は、11市に
全人口に占める年少・生産年齢人口の割合は調査開始(平成6年~)以来毎年減少し、老年人口の割合は毎年増加
世帯数は、調査開始(昭和43年~)以来毎年増加
1世帯の平均構成人員は、調査開始(昭和43年~)以来毎年減少
~住民基本台帳に基づく人口・人口動態及び世帯数


先日、総務省から3月31日現在の住民基本台帳に基づく人口調査結果が発表されましたが、全国の人口は、1億2705万3471人と前年比で1554人の減少となり、昨年に続いて2年連続の減少。
昨年に過去最低を記録した出生数は、109万1917人と昨年を2万6384人上回り、出生数から死亡数を引いた自然増加数は1万743人と増加に転じています。しかしながら、国外転出などの要因から総人口は減少しています。死亡者は8893人増の108万1174人で過去最多となっています。
15歳未満の年少人口比率は13.7%、15歳以上65歳未満の生産年齢人口比率は65.3%と毎年減少する一方、65歳以上の老年人口比率は21.0%と毎年増加となっており、少子高齢化の進行が如実に現れていると感じてしまいます。
尚、東京・名古屋・大阪の3大都市圏の人口は、6353万9362人と全人口の半数を上回り、大都市圏への人口集中が進んでおり、裏返して考えるならば逆に過疎化も同時進行しているということでもあり、団塊の世代の定年後の暮らし方として田舎暮らし等が取り上げられたりもしておりますが、それは益々・・各地域における老若男女の構成比が昔のようなバランスを保持しなくなることを意味するようにも思うのであります。
いろんな世代の人が居て・・人の弱いところ、強いところを上手い具合にぶつけ合ったり吸収し合ったりしながら目に見えぬ部分で、人の心は寄り添われていると思う中、
僕達の子供達が親になる頃は果たしてどんな時代へと突入しているのであろうかと感じるところであります。



2007/08/17

幸せさん

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幸せはいつもきっと・・・存在してるはず。
たとえ今が・・・
不幸のどん底だ!ってゆう状況の中でも・・・
幸せって必ず存在してるんでしょうね。
要は、その存在に・・気付くか、気付かないだけの問題であってね・・・。
自分や、周りの人や環境を責めている時っていうのは、どうしたって不幸感ばかりに目を向けてしまいがち・・・。だから、ついつい幸せに対しては目をそらしがちなだけなんだろうなって思うんですよ・・。
・・・・・幸せさん。
ちゃんと反対側で、こっちに居ますよなんて笑顔で手を振ってくれてるのに・・・
そっちを向かない。向けれない・・・。
不幸感に対しては敏感に素直に反応するのに幸せに対しては・・・
とても反応が鈍くなる・・・?
でも・・ちゃんと居るんですよね、幸せさんってのは・・・。
ならば・・感じていたいですよね、出来るだけ(笑)。
?何故(笑)なのかと言うと・・僕もそういう時、多数ですから・・・(笑)!。
たまらなく憔悴しきって体が曲がる感じの失望感とか苛立ちに包まれた時っていうのは不幸にしか体と心が向いていませんしね・・・(笑)。
そういう時に・・・
「そんな事ないよ・・・ちゃんと幸せも存在してるのに君が気付いてないだけだよ」
なんて綺麗な事を聞いても、耳に入ってはきやしませんから・・(笑)。
しかも・・・小さな不幸は大きく拡大できるくせに小さな幸せは無意識に・・しまい込んでしまってるような?。
けれど・・・小さな小さな幸せを感じとれた時の、心の感触が、あっ・・・ちゃんと幸せさんは居るんだな・・・と、気付ける心の感性を作り出してくれるんでしょうから・・・。
だから、いつもいつも、どんな時も、自分で埋め込んでしまってる小さな幸せの存在を忘れずに大切にしながら・・・
幸せに対する感度をアップさせていかなくちゃなりません・・・。
そういう感度を上げる為には、僕達の場合は・・・
日常の小さな喜びや・・小さな感動を互いに見つけあうなんてゆうのも効果的であるんでしょうね。うつ病のケアにもイイはずです!(笑)


2007/08/16

自分の中の三人の自分

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自分を傷つける・・もう一人の自分が三人。

屈指の理想主義者である自分。
この・・理想主義者の「自分」は、限りなく本当の自分を・・その理想に近ずけようと自分自身に対して、もっともっと・・・と、要求してくる。
そして、本当の自分は・・・
それに応じようと、自分を見失う事すら気が付かぬまま・・・
一向に、距離感の縮まらない・・・終わりの無い迷走をし続ける・・・。
時に・・・周りの人間すら、その迷走に巻き込みながら・・・。

自分の中の批評家。
この・・自分を批評してくれる「自分」は、迷惑な事に・・
勝手ながらに・・自分を厳しく評価してくれる。
君は間違っている・・・
君の足らないところはココだ・・・
君はノロマで駄目な人間だと・・・。
でも・・、この批評家さん・・・
自分の一部分しか観ることのできない・・・短絡的な批評家。
それでも、本当の自分は・・・
確かに、部分的には的を得た批評であるから・・
ついつい・・その批評を無視する事ができずに全心で受け止めてしまう。
それは錯覚である事に気ずかないまま・・・

自分の中の悲劇のヒロイン。
逆に・・・この「自分」は、本当の自分を常に許し・・・守ってくれる。
自分は被害者なんだよ・・・
運が悪いだけなんだよ・・・
もういいんだよ・・・君は一生懸命頑張ったんだから・・・
それは裏返すと・・・
本当の自分にピリオドを打たそうとしているだけ・・・。

こんな三人の・・・もう一人の「自分」。
本当の自分を傷つけ続ける・・・もう一人の「自分」。
そんな・・・「自分」を生み出し、育てているのも・・・
何を隠そう・・・実は、本当の自分。
三人の言う事を聞けば聞くほど、本当の自分は呑み込まれてゆき・・
傷は深まってゆくのに・・。
けれど・・・
その三人をコントロールできるのも・・・
何を隠そう・・・本当の自分。
そして・・・
コントロールできるって事に気がつきだした時・・・
自分を許し・・自分を大切にできる、本当の自分が見えてくる。

忘れてはいけないこと・・・
自分をコントロールするのは自分。
コントロールしだす瞬間は・・ひとつの大きな壁を打ち破る瞬間。

背中を押してやることも・・手を引いてやることも・・
その時だけは、グッとこらえて背中を向けていよう・・・・・。



2007/08/14

凡人とアインシュタイン・・・?

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最近は、時間を見つけては「本」の整理をしているんですが・・・
こんな整理をしようかという気分になれている事は、それ自体に結構・・幸せを感じたりできるもんであります(笑)。
ところで・・・
書物の整理をしながら、処分したりする雑誌や・・もう一度読み返したいなと思う書物等を手にとって作業?していると、完全に作業を中断し・・・その手にした本に読みふけってしまう時間ができてしまいつつ・・・
妻は、そんな僕を眺めながら・・・一体、何をやってんの?・・・と、
その「ハマル・・」行為にヤジをとばしてくるわけですが・・・(笑)。
僕としては・・・何年も前の雑誌や本の隙間から出てきた、シワの入った一枚の家族の写真なんかを発見してしまうと、懐かしいっていうよりも・・宝を発掘?したような楽しい気分にもなってくるわけでありまして・・・・・。
そういう事だけからしても、時代のスピード感を強く感じるところであります。

そして今日も、ついさっきまでモゾモゾと・・・・(笑)

そんなお楽しみ??タイムの中から、今日・・発掘したのは・・・

常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。

人間の邪悪な心を変えるより、
プルトニウムの性質を変えるほうがやさしい。

アインシュタインの言葉より~


20世紀最大の物理学者と言われるアインシュタインが、
プルトニウムの性質をかえるほうが・・・
と、記すと・・・非常に説得力があるなと、凡人には思えてなりませんが・・・
何故・・十八歳と区切るのかを考えてしまうところも・・・
凡人のコダワリかもしれません・・・(苦笑)。



2007/08/11

紙一重

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出会い・別離
好き・嫌い
愛する・愛せない
愛し合う・憎しみ合う
信じる・信じれない
成功・失敗
期待・失望
自由・孤独
優しさ・甘え
あきらめない・あきらめる
相手のため・自分のため
栄転・左遷・・・(笑)
・・・・・・・・・・

人生は・・・紙一重。


どっちに転ぶか・・・・・・?
それが・・・
運命次第であるならば・・・・

どっちを向くかは・・・
自分次第。

強い気持ちと・・・
優しい気持ちで・・・
向けば向くほど・・・

運命は・・・
ちょっとだけ・・
向いてるほうに・・
味方してくれる。



半歩後ろから・・・

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一歩後ろから・・亭主をたてて、ついてゆく?
良妻賢母?
今時そんな・・・(笑)
夫的には・・そういうのも悪くはないなと、何様のつもりで望んでみたりは・・しないでもありませんが?(笑)。
けれど・・これから、うつ病を克服してゆこうって言う妻に・・亭主をタテテもらおうなんて考えは殆ど無いわけでありまして・・・
いぇ、正直・・「たまにゃあ・・亭主をタテテくれよ」なんて想いは確かにありますが・・(笑)
それはさておき・・・
うつ病と、付き合うにあたって・・いい意味でも悪い意味でも、夫婦二人で?向き合っている?ような感のある僕達ではありますが・・・長い長いトンネルの中では、僕が先々歩いていってしまったり・・はぐれてしまったり・・遠い距離を置いてトボトボ歩いていたりと・・
歩調を合わして自信ありげに前へと進んでいるんだろうか?なんて考えると・・・なかなか困難な面も浮き彫りになってくるんですが・・
これからは、お互いの歩調を合わせながら、急がず止まらず口笛でも吹きながら・・・歩いてゆかなければなと感じますね・・。そういう余裕も確かに必要な要素だろうと・・・。
そうして、僕は半歩下がって後ろからついていってやりたいなと・・・。
荒れて・・狂ったような調子の波に呑み込まれて・・あぁ、やっぱり・・もう無理かと憔悴してしまった昨年末から、はや二ヵ月余りが経過し・・春の足音まで感じれる人間になった僕。
家路に向かう道端で・・夜空に向かって「今に・・うぬぼれていてもいいかい?」と明るく呟いてはいるものの・・今は何なんだ?・・・と、
「今」を解りたい気持ちも少々在りし・・・。
構える気持ちと、先を見つめだした気持ちとが混ざる最近ではありますが、これ程?長期?にわたって調子が安定してくると欲を出さずにはいられないってもんですからね(笑)。
今迄、いろんな意味で・・耐えてきた部分があったとしたならば・・
それは多得てきた(たえてきた)事なんだから、得たものを未来に活かしてゆかなければなりませんね。
耐えて失ったものも数知れず・・・。
けれども、多得て掴んだものもある!
そんな僕なりの、僕達だけの法則?を・・
そっと後ろから半歩下がってあてはめてやる・・・。
真っさらな上等の参考書をパラパラとめくるよりも、自分の手垢のついたノートの方が頼りになったりして・・(笑)
もちろん、その参考書からは知らない知識を必要な分だけ頂戴しながらね・・。
そんな・・多得てきた・・いろんな事が記された、僕の心のノートを片手に、最近・・いい線イッテル!?妻の心を支えてやれたらいいですね・・・。
一歩下がれば、離れすぎ・・・。
半歩下がればちょうどいい?
半歩前には時期尚早・・・。
アオらず・離れず・はぐれずに・・・
いつも僕の存在を感じながら安心していられるように・・・・・。



2007/08/09

脱力主義 

メンタルヘルス・ウェブログ

脱力主義!
これでいきたいですね・・。
これは、うつ病の症状である脱力感を後ろ盾するのではなく、何事も気負う事なく・・ちょっと力を抜いて毎日を送りたいなってことなんです。
ただ、そうしたいなと言うんではなく、「そうしてゆく必要がある」と、認識しておいた方がベターですよね。何故なら・・僕達は、うつ病家族なんですから・・・。
やはり、自己改革してゆきながら・・長い目で克服という着地ポイントを遠目にイメージしつつ・・、病気に対する「自分達に合った、出来る事」を学んでゆかなければならないなと思いますからね・・・。
それに、患者や周りの人間が悶々と・・深く暗闇にさまよっている時に「力を抜いて・・」なんて考えたところで、それは・・苦しい自分に「言い聞かす」スタイルでの取り組み方になってしまいますよね・・・。だから、限りなく自然体で・・脱力主義を掲げるって事は・・・
心への効き方が、また違ってくるはずのように思えてくるんですよね・・。
僕達は、おそらく回復期と言える段階に入ったと自負しており・・次回の診察でも主治医にその見解を後押ししていただこうかなと・・考えているんですが(笑)、まさに・・そういう時期にさしかかった今、それらは・・自然体で考え、取り組む。っていう・・・言い聞かせて癒しめていた過去とは違うスタイルにチェンジしてゆかなければと感じるところであります。
逆に・・非常に重要な時期にさしかかってきたんだなとも言えますよね・・。
ならば、これからが長い?
いえ・・長くてもかまいませんよ(笑)
それはそれで、また・・
いろんな問題が出てくるんでしょうが、過去と比較してみるならば・・
多分、「つきあう」レベルでやってゆけるはずですからね。
こういう意味においては・・僕は、他人と不幸の競い合いはしない主義ですが、自己の中では・・比較して自己をコントロールする材料にするのはいい事だと考えます。
ところで・・・
僕の妻は、完全主義。理想主義でありますから・・
そういう性分は、うつ病の側からして見ると・・おいしい部分なんでしょうね(笑)。
とっつかれやすいって言うか・・・
いい人なのに・・損なタイプ?
だから・・「脱力主義」。
何事も・・力まずに、ちょっと力を抜いて・・
そして・・「脱力主義」っていう明確な言葉をキーワードにして気持ちに据え付けておく事が大切であるような・・。
完全主義なんだから、そんな感じで・・ちょうどいい(笑)
それでも性分に負けて?心のアクセル踏んでしまいそうなら・・この僕がブレーキ役?
でも・・急ブレーキは禁物!緩やかにポンピングブレーキにて・・・(笑)
そう・・
うつ病家族。家族みんなで宣言!脱力主義!!
ただし・・・?
父親業は全力主義にて・・・!?



2007/08/06

結婚観

メンタルヘルス・ウェブログ

妻の「うつ病」が結婚以前からの存在であったとしたら・・・?
うつ病を患う恋人と結婚していたか?という意味合いにはなってしまうんですが・・
どうでしょう・・・?
こういう事は、自分自身に対して、答えようのない問いかけかもしれません。
しかしながら・・・
「していたか?」「していなかったか?」っていう答え方しかないとしたら・・・
「していた」。
・・・・・でしょうね。ただ、あまりにも対象の奥行きが深すぎて・・・やっぱり、一言の言い切り形式では答えにはなりにくいところではありますが・・・。
何故そんなボソボソとした言い方になるのかと言うと・・・
結婚すれば「他人ではなくなるから・・・」。
そして・・「もと他人」。
これは一言の言い切り形式で、ズバリ判断するところであります。結婚っていうのは、自分達の結び付きを核として・・ソレに関する愛情云々とは全く別の次元で親戚であるとか、生まれてくる子供の事のと・・・実に様々な人間関係が膨らむものでしょうし、まさに子孫繁栄なんて・・・
大きく広く古い(笑)・・考え方も、ないがしろにはできませんからね。
うつ病っていう病気と向き合いながら、
結婚というゴールではなくスタートを切る事において・・・
患者では無く・・・支える側の人間は、それ相応の「覚悟」が必要になってくるのは否めないと思うんですよ・・・。何も、全てを犠牲的感覚で捉える事は間違っているんですが・・そういう意味の覚悟ではなく・・・
相手の人生を傷つける事もなく、自分の人生が傷つけられることもなく・・・
いくら夫婦といえども、相手の人生を所有する事は出来ないと思ってますから。僕は・・・。
キツイ言い方をするならば、結婚するという事は離婚という保険付きの行為・・・。
実は、それ程・・・結婚っていうのは「賭け」みたいなものなのかもしれませんよね。そういう関係柄の中に、「うつ病」っていう根の深い問題を携えてゆく訳である以上、やはり・・・「絆」に限りなく近い愛情関係が成立していないと、互いの人生の大半を占める年数を共に生きるパートナーであるためには・・・
そんな風に考えてしまうところでありますね。
よく人は言います・・・。
「病気と一緒になるんじゃない!目の前のコイツと一緒になるんだぞ・・・」と・・・
でも、わかってる・・・。わかっちゃいるけど、コイツの向こうに病気が見えるんじゃなくて・・コイツの前に病気が映ってしまうんだ・・・
僕には・・、そういう解釈も「わかります」。
さらには・・結婚「してしまう」前に、興信所を利用して経歴等を調査する人だっているでしょう・・・。それも、「わかります」。
・・・・・・・・・・・・・・・。
幸せって・・・その人のための、その人だけのものだと想うんです。・・・って事は、その人だけのものだから他の人の幸せと比べてしまう事ってナンセンス??
比べない?でも比べてしまう・・・。ちゃんと「欲」っていう比べる能力があるから。
その「欲」の部分をコントロールできる容量の「気持ち」が愛情となり勇気となり、20年30年40年・・と膨大な月日を「共に歩んでゆく」為の地盤となるんでしょうね。
大切に想う気持ち・・・。
そういう気持ちでスタートした二人は、
右に左にと・・・さまよいながらも、再び・・・そういう気持ちに辿り着く。
そんな関係・・・「いい夫婦」。






2007/08/05

老眼の疑い!?

メンタルヘルス・ウェブログ

会社の同僚と雑談していたんですが・・・
僕が、最近・・・小さな文字を見るときのピント合わせのレスポンスが遅いなぁと、同僚に呟いたところ・・・
彼、いわく・・・・・
そりゃ・・老眼じゃないのか!
?!
老眼?!
そうだよ!老眼ダッ!
馬鹿な・・・!40手前で、何が老眼ダッ!
馬鹿な事はない! 
歳がどうのじゃなくって・・・目の老化と年齢は別進行するんだからなっ!
??
・・・・・・・・・・・・・・・・
要するに、少々・・・照度の低いところで、小さな文字なんかを見ようとすると一瞬モワッとピントがずれてしまうんですよね・・・。
彼の主張で、年齢と目の老化は・・
同じ速度で老化してゆかない事に一応の理解はしたものの・・・
帰宅してから目の健康管理について、ちょっと調べてみたんです。

瞳っていうのは、潤ってないと駄目ですからね。その為にマバタキっていう動作をしますよね。そのマバタキに関しては1分間に20~30回位するのが望ましいらしく・・・
PCや携帯画面等を見つめていると、その回数が1/4程度迄・・減少するらしく・・・
すなわち「潤わない」。
それは「ドライアイ」なんて言われ方するらしく・・・。
また・・・近くばかりをずっと見続けていると、ピント調整をする目の筋肉が疲労してしまい・・・すなわち「疲れ目」。
「目」も・・・酷使するとダウンするって事ですね・・・。当たり前と言えば当たり前の話ではありますが(笑)。
そんな時・・・簡単に疲れを緩和する方法っていうのは専用の「目薬」なんかもあるんでしょうが、例えば・・・
蒸しタオルで間接的に目を温めると良く・・・方法としては10分位・・蒸しタオルを目にかぶせてじっと温める。
すると目の血行促進となり、筋肉疲労の改善・・また、水分補給の効果も得られるらしくドライアイの改善にも効果あり!
ついでにPC等の「見る」対象物への視線は下向きがベター・・・。
これはテレビなんかにもあてはまるらしく・・・。
ちなみに・・
蒸しタオルって、水で絞ってレンジでチンすると簡単にできちゃいますね。

・・・とまあ、
こんな小技で、僕の老眼説をくつがえしてみようかなと思うところでありました・・・。



2007/08/03

あい

メンタルヘルス・ウェブログ

愛すべき人間を愛せないでいる自分を・・・
今・・・知っている
でも・・・
知ってる自分の中には必ず・・・
知らない自分が存在している
愛し方に迷った時・・・
愛するしかない



愛し方は・・・
愛すること
遅咲きでもいい
それでかまわない・・・・・。

あ い  谷川俊太郎

あい 口で言うのはかんたんだ
愛 文字で書くのもむずかしくない
あい 気持ちはだれでも知っている
愛 悲しいくらい好きになること
あい いつでもそばにいたいこと
愛 いつまでも生きていてほしいと願うこと
あい それは愛ということばじゃない
愛 それは気持ちだけでもない
あい はるかな過去をわすれないこと
愛 見えない未来を信じること
あい くりかえしくりかえし考えること
愛 いのちをかけて生きること



2007/08/02

母の愛

メンタルヘルス・ウェブログ

例えばの話なんですが・・・
ここにある夫婦がいるとします。
うつ病で苦しむ妻。伴侶である夫。子供。
妻は、長年・・・うつ病を患い続けていて、子育てを満足にこなしてはいない。そして、夫は妻の代わりに子育てと仕事を両立させている。

しかし・・・、夫は段々と不満と不安と苛立ちが蓄積されてゆき・・・
子供への愛は深まり・・・妻への愛は冷めてゆく・・・。
そして夫はいつのまにか心の拠り所を愛人へと向けるようになる。
結果、離婚問題へと・・・。
夫は親権を譲るつもりは無い。
妻は子供を手放したくない。でも・・・過去の経緯と、これからの不安が・・・子供への愛情にブレーキをかける。
夫への愛は薄れつつある・・・。しかし、子供への愛は膨らんでゆく・・・。
でも今迄、抱き締める事すら拒んだ自責の念と、愛し方すら見失った自分が・・そこに居る。

ここからは僕の個人論ですけどね・・・
父か母のどちらか?っていう選択をしなければならない時・・・
僕は、母だと思うんですよ・・・。
父親って・・・結局のところ、子供を導いてゆくことは出来ても・・母親の愛情を真似する能力って最初から持ち合わせていないような?
母親って・・・正面から抱き締めて愛情を注ぐ事が出来ると思うんですが、父親って後姿で導いてゆく事しかできないんじゃないかな?ってね・・・。
母性本能っていう言葉があっても父性本能?っていう言葉は聞きませんから・・・。
子供を育て・・守るのが母親。子供と母親を守る為に闘うのが父親・・・・・??
当たり前のことなんですが、子供って父親の腹の中から生まれませんよね(笑)。
今日も、どこかで・・・って感じで、赤ん坊が毎日々、生まれ出てくるもんですから・・・その究極の神秘を忘れがちなんですけれど・・・
この腹の中で、もうひとつの命が宿り・・・長い月日を経てポッコリと出てくる・・・。
哺乳類がどうだとか女性ホルモンがどうだとか、
そんな難しいことは後回しにしておいて・・・
これは究極の神秘ですよね・・・。「すごい」ことなんですよ。多分。
いえ・・・間違いなく・・・。
命の誕生に対して命で支えて、「産む」。
軽はずみな言葉では言い回しの出来ない程の母親のエネルギーだと思うんですよ・・・。
・・・段々と、話が遠く広くソレテいってますから、ちょっと戻しますけれど・・・

離婚を決意して・・・
万が一・・・うつ病の存在を気にして、
「これからの・・」子育ての不安を感じるのなら・・・
それは、悩みどころがズレテいる・・・。
どうせ悩むんなら・・・「子育てをできる自分を失うこと」に対して悩むべき・・・
僕は、そう思うんですよ・・・。
うつ病と、離婚問題っていうのはかなり深く結ばれてしまう言葉同志ではあるんですが・・、うつ病は・・・子供への愛情を消し去るほど強いモンでもなんでもありませんよね。
あんなもの・・・。
フラフラと近寄ってきて、人の心を掻き乱し・・・そしてフラフラと去ってゆく。
そんなモンに負けるほど・・・
命を宿し、産み・・・育てる・・・愛は弱くないんですから・・・・・。