2007/06/30

別れの無い出会いのこと

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別れがあるから出会いがある。
出会いがあるから別れがある。
なるほど・・・その通りのような気もしないではないような?
人は、男女関係に限らず・・様々な形態の出会いと別れを繰り返しながら・・それぞれの人生を歩んでゆく?
その証拠に、僕自身もいろんな出会いと別れを繰り返してきてますね・・・。
言い出すとキリが無いほど多くのソレを経験してきたと感じます。
ところで、僕と妻の関係をあてはめてみると・・・
恋愛期間も含めるとね、大体13年位前に・・相互に「出会い」を経験してます。
僕が妻に出会い・・妻は僕に出会い・・・。そうして・・・、お腹に赤ん坊を宿した妻は一人目の娘を産み落とし(笑)、僕達は我が子と出会いました。さらに、二人目のおチビちゃんが誕生!僕達はまた・・・新しい家族の一員と出会うんですね・・。
まさに「出会い」だらけ!(笑)
人生何があるかわからないっていう事を、人は平等に持ち合わされているもんですから・・、僕達も将来の事を保障はできないとしても・・?、今迄に限って言えばね・・・
「出会い」しかなく「別れ」というものがない。
ホント・・出会いだらけ。でも「うつ病」にも出会ってしまいましたけどね(苦笑)
だからね・・・、家族っていう小さな集合体に「出会いがあるから・・・・別れが・・・」
っていう言い回しは完全にあてはまらないような?僕達に限っての事ですけどね・・・。
家族っていいですね・・・。「出会い」が「別れ」に変わらないから・・・。多分・・・。

でもね・・・、一つだけ別れていただきたいもの・・・それは・・・、
うつ病。・・・ですね・・・・・。


2007/06/28

泣き虫先生に学ぶこと

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家族はうつ病の妻のために・・・
うつ病の妻は家族のために・・・

これは僕が造った造語なんですが・・・
オール・フォー・ワン
ワン・フォー・オール
・・・っていう有名?な言葉がありますよね。
知ってる人ならピンとくるかもしれませんが・・・。
実話をもとにした昔の青春ドラマ・・・スクールウォーズと言えば・・・
だんだんわかってくる人もいるかもしれませんね・・・。
京都の伏見工業高校のラグビー部の挫折と栄光を描いた物語・・・。監督である泣き虫先生が、汗と涙にまぎれながら落ちこぼれ集団を栄光の舞台へと導いてゆく感動的な実話です。
その・・・泣き虫先生の名言がこれ・・・オール・フォー・ワン。ワン・フォー・オール・・・。一人はみんなのために・・みんなは一人のために・・・。
僕が高校生の頃は、この実話の時代のように荒れ狂う時代ではなかったんですが・・・
それでも、ペチャンコの学生カバンがカッコよかったり、電車の中でタバコを吸う?・・・とかが強さ?の象徴?のような気配はあったんですが・・・そんな青春?の一ページを過ごす中・・・このドラマを見て想い焦がれる心境もあったようななかったような・・・?
薄っすらとしか記憶にはありませんが・・・。僕は当時・・・体育教師になる事を望んでいたこともあり、大学受験の際は合格済の、ある大学の経済学部をパスして・・・有名体育大学のスポーツを科学する学部を推薦抜きで受験し、失敗するという・・・訳のわからない?(苦笑)・・行動をとり、結局今はサラリーマンと・・・思い起こすと「あれは何だったんだ?」と考えてしまうんですが・・・。
泣き虫先生は、いい男ですね・・・。
ついでと言うと、怒られますが「熱中時代」の北野広大先生もいい男です・・・。
(万人向けの話題ではございませんが・・・)

だんだんと話がそれていこうとしていますから・・・話を戻しますと・・・、この泣き虫先生のお話は過去、僕が勤務する会社の研修の中でも教材として登場しており、この時はおそらく鬱病家族3年目辺りではなかっただろうかと記憶しているんです。そんな時、研修の中での教えを、そっちのけにして(笑)僕の頭の中で考えていたことが、家族はうつ病の妻のために・・・うつ病の妻は家族のために・・・。なんです・・・。

いわば形骸化してしまいがちな家族像であったとしても、何かしらの厚い壁に、その先を阻まれてしまった時・・・支えあう事を知り、支えあう事を始めて、支えあってる事を知る。ある意味では、お金の儲け方を知る事よりも人生において・・・大切な部分であるかもしれませんね。勿論、どちらかに偏ってしまっても駄目かなとも思いますが・・・。
うつ病を患う妻を、家族が支えるのはよくわかる構図なんですが、その妻自身だって家族のために、ちゃんと支えてあげなきゃって苦しんでいるんですからね・・・。そういう妻の、心の内幕は・・・性分的な部分に病的な部分が重なってしまってるんで、見えにくいだけなんですよね・・・。妻は患者の立場ですから何も頑張ることもないんですが・・・、そんな妻の心を覗き見してあげると・・・
家族は妻のために・・・
妻は家族のために・・・
っていう構図がちゃんと存在してるような気がしますね・・・・・。


2007/06/27

特別な味・・

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僕達は、結婚して11年が過ぎますが・・・
別に自分の奥さんの手料理に惚れ込んでるわけでもなんでもないんですが(怒られそう?)、
それなりに?「愛着」というものは・・・確かにありますね。特にレパートリーが豊富なわけでもありませんし、料理の腕前が達者な事もなく・・・
あくまでも「普通」の腕前の奥さん。・・・ですが、世にある「その他の手料理」とは明らかに区別することが可能な妻だけの味??
いわゆる「おふくろの味」の妻版のような?。そうして子供達は将来、これが「おふくろの味」となるわけでして・・・。もともと100点主義の妻は、うつ病を患ってからも・・、料理の腕前を上げる事よりも毎日キチンとご飯の支度をする事を継続してきたんですが・・・、男の仕事と違って、食べるって事は365日無休ですから、主婦と言えども労をねぎらうに十分に値する勤めだったと思いますね・・・。
「・・・だった」と言うと少し変な言い方であり、これからも頑張って頂きたいと願うところではありますが・・・、あんまり無理しないようにして下さいよ・・・。
でも、調子の悪い時ってゆうのは味にすぐ反映されちゃいますね。子供達は正直に物言うもんですから・・・、「何これ?まずい!」・・・と、ストレートな御意見を笑顔で食らわします(笑)。僕も一緒になって、そんな事言うとオシマイですから・・・適当にゴマカシタリはするんですけどね・・・。
なんだかんだ言っても、妻の手料理には独特の味がするもんです。よそのお宅に入ると、そのお宅の独特の匂いを感じるのと同じような・・・それぞれの家族だけの「特別の愛着」。
そういうものは、他人には、あんまり価値のあるものではありませんよね。
しかしながら、それぞれの家族には貴重な価値があるんですよね・・・。例えば、カレーの辛さ加減とか・・・、肉じゃがの芋の柔らかさ加減とか・・・、グラタンの表面の焦げ具合とか・・・、オムスビの塩加減とか・・・、卵焼きの黄色の色加減とか・・・、11年間の「特別の愛着」が染み付いてしまってます。だから、世にある「その他の手料理」とは明らかに区別できる訳ですね・・・。
「おいしいから、おいしい」と言うよりも「妻が作るからマズクナイ?」のような?
妻的には、もっとレパートリーを増やしたいそうな事を時々発言してますが・・・、
100点はいりませんから・・・。うつ病に悪いです(笑)
そんな妻の手料理から御無沙汰するたびに・・・
その有り難味を感じてしまう今日この頃であります・・・・・。


2007/06/26

愛するということ 3

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もしも、僕達が夫婦であり子供が居て・・・家庭という、解体作業に対してかなり相当なエネルギーを費やすであろう関係でなかったとしたら・・・?
僕は今と全く同じ感情で妻に接しているんだろうか?
正直・・・、僕はわかりません。なにも仏の精神で埋め尽くされている男でもなんでもありませんからね。
極端な言い方をすれば・・・付き合って一週間の彼女が、突如・・・、自分とは関係の無い彼女自身の積もりつもった心的要因で妄想めいた言動を・・・デート中に連発しはじめたならば・・・?
僕は、即・・・関係を解消することを考え始めるかもしれません・・・。非常に極端な憶測かもしれませんが・・・。しかしながら、僕は今・・・、そんな感情は全くありません(当たり前ですが・・・)。
それじゃあ・・・、逆に言い換えると・・・、解体作業が大変だからサポートし続けているのか・・・?。
いや、そんなわけでもありません・・・。じゃ・・・、なんで?
それはね、多分「愛」があるからなんですよね・・・。愛するということは何も好きで好きでたまらないとかなんとかではなくってね・・・、
一体、何て説明すればいいんだろうと・・・、返答に困ってしまう?自分でもよくわからないのに・・・、何故かその人間のことを想ってしまう・・・。
想うとか言うよりも本能的に守ろうと、自分の心が勝手に自分を操る?。
そんな言葉にできない気持ち・・・そのものが「愛してる」ということなのかもしれません。親にしても娘にしてもなんですが・・・実際のところ僕は妻のどこを愛してるのか?と聞かれてもよく答えられないかもしれません。
顔が好み?とか・・・そんな低レベルの答え方や、優しいところが・・・とか中レベルの答え方・・・
ちょっと訳がわからなくなってきました(笑!)
いくら考えても・・・
訳がわからなくなるほど?
説明のしようがない気持ち。
説明のしようのない割には・・・、驚くべきほど生命力の源ともなりうる賜物・・・
それが・・愛するということなんでしょうか・・・・・


2007/06/25

3万2155人

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・・・・・32155人。

昨年1年間の自殺者の数でありますが、9年連続で3万人を超えています(警察庁調べ)。
特に、学生・生徒の自殺が2.9%増加して886人となり・・
統計を開始した昭和53年以降最悪となっています。

年齢別では、60歳以上が1万1120人で全体の34.6%を占め・・
50歳台が7246人で22.5%。
40歳代が5008人で15.6%。
30歳代が4497人で14.0%となっています。

また、男女別では男性が約7割と圧倒的に女性を上回っています。

原因・動機別では・・
「健康問題」が全体の半分近くの1万5402人で最も多く
2番目が「経済生活問題」、次いで「家庭問題」、「勤務問題」となっています。
そして、自殺者全体の32.5%、約3人に一人は遺書を残しています。
32155人の尊く重い命が、自ら消えていっています・・・・・

資料元は平成18年中における自殺の概要資料 PDFファイル


2007/06/23

ポケットベルとメール

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僕と妻はよく、携帯メールのやりとりをするんです・・・。
そう思えば・・・妻がうつ病を患ってからは、毎日・・・何回もメールを使って、たわいもない事をお話するのが日課となっているようです。
「今、何してる?」とか「今日はしんどい」とか・・・。
とても短い「一言」的な内容ばかりなんですが・・・。それが、妻も僕も・・・互いに安心させる小道具のようなものかもしれません・・・。
あんまり長文のメールは仕事にも支障をきたしますから駄目なんですが、一言・・・のメールが昨日のモヤモヤを解消させてくれたり、病状?の確認ができたりと・・・、なかなか有効利用できてます(笑)
ところで・・・
妻と結婚する前はちょうど・・・ポケットベルから携帯電話に時代が移りかわる頃でしたから、当時、二人はポケットベルを持ち合って今と同じような事をしてたように思いだされます。
例えば、「あいたい」なら11124112と入力するんです。「すき」なら3322となりますね・・・
あかさたな・・・の行と列をを数字を使って表現するだけなんですが・・・。
短い一言の持つ、楽しさ?のような青春時代の恋愛秘話ではあります(苦笑)。・・・
メールっていうのは肉声に比べて、冷たい要素も持ちながらも時には口に出して言えないような事とかも平気で、機械的に伝えてくれるもんですね・・・。






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2007/06/21

もうひとりの自分

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必ず迎えなくてはならない、自分にとってイヤな事って何日も前から憂欝になりますよね。
だんだんその日が近づいてくる度にイヤな想いは募ってゆき、緊張感を伴いながら憂欝な毎日を消化してゆく・・・。
例えば一週間後に人事異動の発表がある・・なんて時は、いよいよ単身赴任か!?
なんて、心配や不安なんかで憂欝になるもんです。それでも時間は無常にも一定の速度で過ぎてゆきますから心配しようが不安であろうが、いずれその日を迎えてしまいます。そして結果を知り一喜一憂する・・・。自分にとって有利な結果なら嬉しいでしょうし、仮に単身赴任が決まった場合でも、「仕方ない・・・これもサラリーマンの宿命か?」って、諦めながらも受け入れている?人は、日常生活における、「イヤなこと」って、反発と同調を上手に織り交ぜながら、それなりにクリアしていってるんだと思うんです。
ところが、うつ病を患う妻の場合はちょっと違ってきますね・・・病的に反発したり同調したりするんですからね・・・。「イヤなこと」への反発は、何日も前から始まり・・・何故?イヤなのかという事だって上手にヒモ付けしながら理由付けしてゆく?それらに不安も絡めて、まさに・・世界の終わり?(少しだけオーバーですが・・・)まるで、自分で自分を強烈に追い込んでいるかのよう・・・。結果に対しても「こうなってしまったのは、あたしが悪いからなんだ・・・やっぱりダメ・・・」要は、ダメ物語の主人公は常に自分が演じてるんですよね・・・なにも好きで演じてる訳なんかじゃなくてね、出来れば役を降りたいんでしょうが・・・役を変わってくれる、もう一人の自分が存在しない・・・。
落ち込む自分。励ます自分。
人はいろんな自分を利用しながら病める現代社会の中で暮らしているんだと思うんですよ・・・。悩める時には励ます自分が現れ、自分が自分を助けてあげられる・・・。
もしも、そんな自分が妻の心の中に現れ始めたら・・・それは克服へと大きく前進する第一歩であるんだと思いながらも、それがなかなかね・・・・。
今のところ・・・、妻の心の中に必要な、もうひとりの励ます自分役にはね、僕がレギュラー出演しているみたいですが・・・・・。

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愛するということ・・2

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男が女を愛すると言う行為は・・・
極端な話、勢い?だけで成り立つような気がするんですよ・・・。初めて出会って、何かしらの他の女性に対するものとはちょっと違う、特別の感情が生まれる。そして好きになり・・・独占欲のようなものが生まれて「好き」という表現から「愛している」という表現に自ら変化させてゆき、さらに認識しだす・・・
自分は目の前のこの女性を愛しているんだと、はっきり自覚するような・・・?
時間はかかりませんよね・・・好きから愛してるに変化するまではね・・・。
だから極端な話、「愛してる」までは勢いさえあれば、短時間で到達するような気もしないではありません。
しかし、見方を変えればね・・・。それはゴールではなくって、やっとスタートラインにたった状態なのかもしれませんよね。何故なら・・・そこから先に、「愛し続ける」っていう長い長い道のりがあると思うからなんですよ・・・。
愛することと愛し続けることとは全く別の次元の行為だと・・・僕は解釈してるんです。
かなり荒っぽい例えになっちゃうんですが・・・
愛し愛され・・・その女性の為なら人生賭けてもいいと思う程の女性と交際するなり、夫婦だったりしてもですよ・・・ある日突然、交通事故で人口呼吸器をつけたままベッドの上で横たわり・・・回復の予測すらはっきりとしない・・・。そんな状況下にもしも、直面したとしたら・・・
多分、今までの「愛してる」という気持ちの形はみるみる変化を遂げていくはずだと思うんです。
極論を言えば、「愛してる」が「愛してた」に変わってしまうことだってありますよね。裏返すと気持ちの真価を問われるような・・・?
だから、「愛してる」も「愛してた」も、それに達するまでに時間を要しない・・・?

「愛し続ける」っていう行為はね・・・、非常なる労を費やす行為かもしれません。
人間は機械じゃありませんから、「愛してた」時点のまま永遠に不変なままの女性でいてくれるはずがありません。(当たり前ですが・・・)年老いてもいきますし・・・生きてる以上、何が起こるかもわかりませんからね。少々の事なら許容範囲内でしょうから無意識のうちに受け入れるのが普通なんでしょうが・・・
もしも、さっきの荒っぽい例え話のような・・・かなり想定外の問題が発生したならば・・・?
人は生まれた瞬間からストレスを抱えだすと思うんですが、愛に関してもね・・・
愛した瞬間から愛し愛されることへのストレスを抱えだす・・・?
生きていく事も大変なことだけど・・・
愛し続けてゆくということも同じ位大変なこと・・・。
でも「もうだめだ・・・死んでしまいたい・・・」と悩み抜く中に生きてる素晴らしさを全身で受け止める瞬間があるようにね・・・、
「もう・・・愛せない・・・」・・・と背を向けた時に初めてわかる・・・
「本当は愛しているんだ」という真実。
もしも、そんな真実にちょっとでも触れたならばね・・「愛し続ける」っていう・・・、時に苦悶を伴う行為ですらも、決してあきらめることなく受け入れることができるはずですよね・・・
それはね、「それでも生きていく」っていう行為にもリンクした・・・
人間の・・・尊い心のパワーだとも想うんです。



2007/06/18

愛するということ

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よく聞く?言葉に・・・
「人は生まれた瞬間から死に向かう」
っていう言葉がありますよね・・・。理屈から言うと、当たり前のような?自然界の摂理??
ならば・・・愛するということは・・・?
愛を感じた瞬間から愛を失う終章へと向かってゆく・・・?
一理あると言えばあるような気もしないでもありませんが・・・。
そんなふうに考えていくと・・・人を愛するってことは相当なエネルギーが必要になってくると思うんですよね・・・。
簡単に言うと・・・「とても、しんどい。」
それじゃあね・・・しんどいんだから、やめちゃえば楽になりますよね?すぐに終章のページを開いてしまえば楽なのに・・・?
本当にそうかな・・・・・?
難しいですね・・・。僕の脳ミソのレベルでいくら考えてもなかなか答えはでてきませんね。
愛をテーマとした論述は無数にあるように、答えがないから・・・、人は愛を確かめたり、確かめ合ったりするのかもしれませんがね・・・。だから「生きること」と「愛すること」ってなんか似てますよね・・・。
苦しみぬいて生きてゆくから、生きてる喜びを必ず・・・いつかきっとわかる時がくるのと同じで、もがき悩んで愛し続けるから「愛してる」と・・・わかる自分に出会える・・・?
人を愛する・・・我が子を愛する・・・我が親を愛する・・・心の友を愛する・・・
いろんな愛の形があると思うのですが、愛することって素晴らしい。
生きるってことも素晴らしい。
死んでしまうことは、生きてる苦しみを解消することではない。
愛することを、辞めてしまうことは悩みを解消することとは違う・・・愛するという行為をあきらめないところに、初めて選択肢という名前の扉を開くことができる・・・。僕の場合、この扉をひらいた向こうにあった答えは・・・一生、この女性と生きていこう・・・。そして運命に背を向けまい。それが答えでした。
だから・・・今、こうして立派に生きているのです・・・・・。


2007/06/16

銭湯と公衆電話

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今日は土曜日ということもあって親戚連中と、お風呂にいってきたようなんです。(僕は行ってませんよ・・・)。
お風呂と言っても昔ながらの銭湯ではなくって、打たせ湯やサウナ、ハーブの湯・・とかのある健康ランドのようなところ・・・。
僕も温泉系は大好きですから時々、行くんですが やっぱり気持ちいいもんですよね。
リフレッシュできます・・・。
ところで、
20年近く前になりますが僕は、アパート一人暮らしの時代は毎日、銭湯通いでありまして・・

料金は、たしか200円ちょっとだったように思います(あんまりよく覚えていないんですがね。)
そして、今はいくら位なんだろうと考える前に銭湯自体が、ほとんどありませんし 見かけません!
銭湯っていう空間は、素っ裸の赤の他人同士が横に並んで、垢を落としに集まってくる・・・
なごみますよね・・・。
僕の場合は、その帰りにタバコをくわえて公衆電話で、誰にだか電話する・・・。
そんな青春の?ひとコマを思い出してしまうような・・・。
銭湯と公衆電話が世の中から消えていったタイミングは同じ位だなぁと思うのは僕ぐらいでしょうか・・・(笑)

妻は温泉好きです。女の人はみんな好きですよね・・・多分。
娘と一緒ならサウナに入れないとブツブツ言いながらも顔がマッカッツカになるまで楽しんでいるようです・・・。温泉といっても、さっき書いたような健康ランド系に行くのが殆どですが、泉質うんぬんよりも広~い空間で湯につかり、のんびりすることがささやかな癒しでもあるんでしょうね・・・。
でもね、下の娘は泳ぎの練習しちゃうらしいですからノンビリ癒されてる暇もないらしく・・

それじゃあ、お父さんと入るかっ!なんて提案は即、否定 却下・・・となってしまうんですね。
母の人気度には勝てませんね・・・
それともうひとつ、健康ランドもいいんですが・・飾り気のない湯船ひとつの昔ながらの銭湯・・・あれも結構癒されますよ・・・
商売っ気のない、あの雰囲気は今 想うとなかなかの癒しの空間だったように感じるんですが・・・・・。


2007/06/13

うつ病に感謝?

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男は女を守るもの。女は男に守られるもの。
映画に出てきそうなセリフですね。
僕も一応、守っているつもりではあるんですが・・・
しかしながら・・・妻に頼ってしまう時もありますよ。
とりあえず10年以上、夫婦してますからね。それが夫婦の姿。かもしれませんね。

ところで、僕達の生活空間の中には常に,うつ病という存在があるんですが、もしそうじゃなかったら今、想うような事柄は無いかもしれません。まだまだ若いですから生活に追われ、子育てに揉まれ、仕事一本、家族そっちのけ。なんて、お互いに違う方向ばっかり向いちゃってしまうような・・・
日本の離婚率もグングンあがっているみたいですけれど、うつ病のおかげで妻との心の距離は結構短くなっています。
一応、出会う→彼女→恋人→結婚→夫婦という普通の流れで現在に至りますが、もとは他人。夫婦関係って、切っても切れない親子の絆とは異質のものと思ってるんです・・・。
いくら結婚式で「誓います・・・」ってサインしても何の保証もありません。
妻がうつ病になってから、もと他人同士が互いに尊重しなければならない何か大事な部分に出会えたかと思います。守って守られてというような・・・気付かずに過ごしていたものを気付かせてくれたような・・・貴重な体験かもしれませんね。
うつ病も意外と罪な奴です・・・??


2007/06/11

三人目・・・

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「男の子欲しいよなぁ~」・・・妻は時々僕につぶやきます・・・

「冗談、言うんじゃないよ!」

妻・・・・「苦笑・・・」

娘二人の、女系家族ですからね・・・。男一人の僕は、将来ますます肩身の狭い思いをするんだろうなぁーと、思いながらも女の子の方が頼りになるよなぁ~っなんて期待する部分もあるような・・・。何故なら男の子の僕は、この年になるまで親孝行らしきものを多分してこなかったと思いますから・・・。
しかしながら、これだけ様々な悩みを子育てをも関連とする事柄から発生しているにも関わらず、さらに「男の子が欲しい・・・」とは・・・したたかというか、なんと言うべきか・・・
女として、母親として、男の子も欲しいって思う事と、うつ病がどうのこうのという部分は次元の違うお話なのかも知れませんね・・・。どれ程、傷付こうが我が子に対する母の愛は 己の傷み(いたみ)すら忘れさせる・・・
それは父親とて同様の部分を持っているとは思うんですが、ちょっと違う性質のもののような・・・

子供の為に「がんばって」、授業参観に出席する・・・
「やっと終わった・・・もう今日はダメー」

そんな生活の場面もあるんですが、行かないわけにもいきませんからね・・・。なのに男の子も欲しい・・・だなんて、なかなかの強者ではありますね・・・。まぁ、妻もささやかな希望・・・ということであって本気で産みたいと思っているわけではないようですが・・・。

僕もね、男の子欲しいといえば欲しかったんですが・・・
女の子も可愛いですから!十分です(笑)

二人居れば、日本の少子化対策にも貢献しているはずですからね!


2007/06/10

偏見

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うつ病・・・僕は、この言葉が嫌いなんです・・・。病気そのものに対することではなく、「病名」が嫌いなんです。

「ちょっと、妻のうつ病がひどいもんで、先に帰るから・・・」なんて社内の人間には言えませんし、言ったこともないんです。「どうしたの?奥さん調子悪いの?」・・・と聞かれても、「うん、ちょっとね・・・」なんて感じです。「子供じゃないんだから、しつこく聞かないでくれよ・・・」ってな具合で「ちょっと」を多様し続けてきましたし、これからもそうかもしれません。さらに自分の娘にも詳しい説明等したことはありませんし、する気もないんです。大人になった時に思い出して理解すればいいし、理解できる優しい女性に成長してくれることを望んでいるんです。まして類のない大病と向き合って闘病生活をしている訳でもなんでもありませんからね!

でもね・・・「うつ病」という言葉の響きには、卑屈感を抱いてしまう・・・というのが正直な、僕個人の感想なんです。仕事の絡みで、一度だけこんな会話をした事があります。

同僚・・ 「おいっ、あの得意先の娘さん、うつ病らしいよ・・・どうりで・・・」

僕・・・・「へェ~、そうかい・・・」

これは1年位前の会話だったと思います。どれ位、前だったのかは詳しく覚えていない代わりに、会話の内容だけは、はっきりと記憶しているんです。また、会話の最中に「お前、そんな言い方するもんじゃぁ、ないよ!」って言い返したりしなかった事も、はっきりと記憶しています・・・。僕個人の感覚を世間様にスライドしてしまうのは、いけない事だとは思うんですが、「うつ病」という言い回しは「偏見」を同居させていると思ってしまうんです・・・。ですから、妻のうつ病に関する話をするのは身内と先生だけ・・・

井戸端会議で、ああだこうだと情報交換するたぐいの病気ではないと思うんです・・・。

「ちょっと、奥さん・・・あなた、うつ病なんだってね!それなら○○病院がいいわよ!」っなんて誰も言いませんよね・・・。それと知った瞬間に冷ややかに静観する行為が始まる・・・。だから、隠す・・・。これが、僕達の快適に暮らしてゆく為の手段なんです。以前、それは自己防衛・・・とコメントを下さった方がいましたが、まさにそうかもしれません。勿論、病気を公開し意見を主張する人だっています。繰り返しになるんですが僕個人の感覚を世間様にスライドしてはなりませんね・・・。

僕自身、家族が鬱を患うという事態に遭遇していなければ、多分・・・おそらく・・・きっと・・・もしかしたら・・・

「おいっ、あの得意先の娘さん、うつ病らしいよ・・・どうりで・・・」・・・と発言する側の人間であったかもしれません。人を中傷する機能は誰にでも付いてる機能ですからね・・・

同種の心の病気に苦しむ人々の数は加速していますよね・・・。


2007/06/09

子供達の笑い声

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さっきまで、テレビでニュースを見てたんですが悲しい交通事故が多いですよね・・・。
フワフワの小さな命が一瞬にして・・・。(小さな子供の交通事故・事件)
僕も娘達には、「赤信号でも止まらない車もあるんだからな!」とか「裏道で大人に声を掛けられたりしたら絶対ついていくんじゃないよ!怖くなったら大声あげて思いきり逃げろ!」なんて、よく言います。まだ善悪を理解してない小さな子供にこんな矛盾した世の中のルールを教えていかないと自己防衛できないんですからイヤな時代になってしまいましたね・・・。

将来、僕が年金を受け取ってる頃、(もらえるのかな??)自分の娘達はどんな時代を生きているんだろうなぁと思うと少~し心配なような・・・。
時代は人を変え、人は時代をかえてゆく・・・。なんにせよ、幸せになってもらいたいものです。親にどんな「都合」があろうとも・・・。
僕は自分の子供としか、ほとんど接触しないからそう思うのかもしれませんが・・・
小さな子供って大笑いする時にケラケラって笑いませんか?
アハハとかフフフとかガハハとかではなくって・・・。
あのケラケラと大笑いする子供達の表情を見てると、僕も勝手に笑ってるんですよ!
子供の笑顔って、すごいパワーが、・・・あります。親が子供の笑顔を奪っては駄目だと思ってます。
あのケラケラと笑う声、最高に魅力的です!
・・・・・ただの親バカだったりして・・・・・???


2007/06/08

すれ違う人の数・・

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一日に何人の人々とすれ違っているのか・・・?
その人達と話をしようが、しまいが・・・はたまた、他人だったり友人だったり知人だったり家族だったり通り過ぎただけだったりと・・・。
そんな人々の数を、全部ひっくるめて計算してみると・・・僕の場合ではね・・・、
まず通勤中に何十人・・・(満員ラッシュとは無縁です)。職場に着いて何十人・・・。外回りで多分、何百人・・・いや、もっと・・・?。帰社してからも、何十人。帰宅途中に何十人。控えめに想像してもこれ位ですから、おそらくは倍位の人々とすれ違っているはずですね。・・・。通勤ラッシュに揉まれる人なんかは、僕の比じゃあないでしょうね!ご苦労さまです・・・
こんな毎日をず~っと続けてきているわけであり、さらにこれから死ぬまでの間も、数の増減はあるとしてもですよ・・・人・人・人・・・の毎日をくぐりぬけていく事が、生きていくうえでの必須科目であるような・・・?毎日毎日、人風(意味不明の言葉??)をうけながら、削られながら・・・暮らしているんですから、なんかこう・・・川底の石コロの角が長い年月の水流を受けて、まあるくなっていくような・・・
そんな、例え話もできないこともないな。・・・と、感じてしまいますね。要するに、普通に生きてるだけでも十分なストレスを、たくさん頂戴しながら生活しているんだなと・・・。人々とすれ違いながら毎日を、やっていくことが自然な姿ではあるんですが、優しさや感謝の気持ちを与えてくれると同時にストレスも一緒に頂戴している・・・、そんなふうに想います。妻は主婦ですから僕と比べるとずっと数的には下回るとは思うんですが、心の中で多数の人々とすれ違っているようですから・・・。
まあ、同じですね・・・。やっぱり・・・。
しかし・・そんな事に、いちいちこだわっていたら現代社会を生きてはいけませんね!(笑)
ただ僕にしても「一人になりたいなぁ~」って思う時は、やっぱりありますし「誰とも口をききたくない!」なんて日も、適度に到来しているような・・・?はずです。妻は、しょっちゅうですが・・・(笑・・・)
寂しい時は、人恋しい?疲れた時は一人がいい?   まぁなんと都合のいいお話ですよね。でも・・そんな人々の都合が上手に重なり合って、相互にバランスとれているのかもしれませんがね・・・。
元気な人が弱ってる人に手を差し伸べる。弱ってた人は元気になってから、弱ってる人に声を掛ける・・・。
社会も家庭も学校もホントは、バランスよく人間関係うまくいくように出来ているのかもしれません。ちょっと歪もうが、傷付こうが・・・ちゃんと、うまくいくようなシナリオの中をコツコツと進んでいるのかもしれませんね・・・・・。