2008/04/08

人生に疲れた人へ・動画、文章版

メンタルヘルス・ウェブログ

人生に疲れた人へというタイトルの動画を、文章版と共に拾ってみました。

生きることに疲れた人は、
真面目な人である。
努力してきた人である。
努力している時に、
まさか自分がこのようになってしまうとは、
予想もしなかった。
自分の努力は、
いつか報われると思っていた。
皆から賞賛されると思っていた。
まさか自分の人生が、
こんな形で行き詰るとは予想していなかった。
でも、いま、生きることに疲れて、
何もする気にならない。
幼児の頃から献身を求められた人が、
どうして大人になっても
エネルギッシュでいられようか?
そんなことは無理に決まっている。
せっかく生まれてきたのに、
屈辱感を味わうだけで一生を終える人は多い
周囲にとって都合のよいときのみ、
「良い子」として受け入れられた
人生の初期において
周囲の自分に対する期待を
かなえることばかりにエネルギーをつかい、
生きることに消耗してしまった。
高齢者と若者とが
男と女とが
文化の違う国に属している人が、
相互に理解しあうのは難しい。
しかしそれよりも
はるかに難しいのが、
心理的に成長した人と、
それができなかった人とが、
相互に理解しあうことである。
よくいじめられた子供に
「言い返せばいいじゃないか」
と言う人がいるが、
それは言い返したときの恐怖を
体験していない人が言う
虚言である。
そもそも権威主義的家庭に育てば
「言い返す」などという文化は無い
いつも気持ちは萎縮している。
いつも怯えている。
「丸太小屋から大統領へ」という
サクセスストーリーが好んで語られる。
外側だけ見る人には感動的であろうが、
それは奇跡でも驚嘆でもない。
丸太小屋に生まれても
「母なるもの」を与えられていれば、
生きることは楽しいことだからである。
愛されない子供として宮殿に
生まれるよりもはるかに幸せである。
いや、これは比較できない。
あまりにも違いが大きすぎる。
「丸太小屋」が天国だとすれば、
「宮殿」は地獄である。
しかし人々は「丸太小屋」を誉める。
こちらのタイプを賞賛する。
眼に見えるからである。
人生の不公平とは、
この不公平である。
無視されて育ったり、感謝を要求されて
育った人が、真の自分を発展させ、
素直に成長していくことは
至難のわざである。
人生に疲れた人は、自分が生まれ育った環境を考えれば、
「自分はすごい」と思っていいのである。
事実すごい。誰にも助けてもらえないで、
独りでここまで生きてきた。
だれがここまでできるか。
不幸を受け入れる気になると何をしたら
最も良いか突然見えてくる。
「私の人生は辛い」と認めることである。
「なんで私だけ」と不満になれば、
より辛い人生になる。
人生が一度しかないと思ったら、
自分を無理に欺いて、人に迎合するだろうか。
もし本気でそう思ったら生き方が変わってくる。
人生は一度しかない。
本当に一回なんだよ。




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