2008/01/16

阪神・淡路大震災から13年

メンタルヘルス・ウェブログ/ posted by レオン

阪神・淡路大震災
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒発生。
死者 : 6,434名 行方不明者 : 3名 負傷者 : 43,792名
避難人数 : 30万名以上
住家被害 : 全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計約25万棟(約46万世帯)、一部損壊390,506棟
火災被害 : 住家全焼6,148棟、全焼損(非住家・住家共)合計7,483棟、罹災世帯9,017世帯
その他被害 : 道路10,069箇所、橋梁320箇所、河川430箇所、崖崩れ378箇所
被害総額 : 10兆円規模


他、詳細データ阪神・淡路大震災関連情報データベ ース




以下、被災者の方の掲示板投稿より~

☆ >当時神戸の大学に通ってて学校近くの二階建ての木造アパートの一階に住んでた。
ちょうどセンター試験で大学が休みで研究室にも行けなかったので前の日まで彼女(OLだった)とスキーに行ってた。
で、アパートに帰ってきて彼女の家まで送っていこうと思ったら。

「疲れたし、泊まっていく」と言いだしたのでそのまま二人で並んで寝てた。
そしたら何がなんだかわからないうちに天井が崩れ落ちてきて生き埋めになった。
身動きはとれなかったが手を伸ばしたら彼女の手があって、彼女の手を握って「地震みたいやね」「きっと助かるよ」って話をしていた。
「助かったら何が食べたい」とか「助かったらどこに行きたい」とか話してて最後には「助かったら結婚しよう」って話になってた。
ところが何時間経ったかわからないけど彼女が突如苦しみだして力が抜けていくのがわかった。俺は何も出来ずに叫ぶだけだった。
でも、彼女の苦しんでる時間はそう長くなかったと思う。
だんだん冷たくなっていく手を握りながらずっと叫んでたと思う。
そこから後のことは全然覚えてないんだけど夕方6時くらいに助け出されたらしい。

あの日彼女を家に帰していればいまごろはどうなってただろう、と思うと鬱になる。
もしかしたら結婚してたかもしれないが、恐らく普通に別れて忘れてしまってるかもしれない。
でも、彼女は今も元気に生きているんだろうなと思う。子供もいて幸せに暮らしてるかもしれない。



☆ >2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。
少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」
最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女が門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。




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